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猫尾城

猫尾城(ねこおじょう)は福岡県八女市に存在した山城。矢部川と笠原川の合流点の東側、半島状に突出標高240.1mの猫尾山頂にあった。本丸は南北・東西の長さがそれぞれ約56mおよび28mで周囲に犬走りが設けられ、東西と建物部分には石垣、南北には土塁が築かれていた。また本丸の西には南北18m、東西40mの馬場を挟み、約30m四方の二の丸があった。反対側の本丸東には空掘を挟んで三の丸が設けられた。また、追手門の北側と本丸の南東・北東隅の3か所に櫓があった。城主・黒木氏の屋敷は西側の矢部川と笠原川に挟まれた場所にあり、土塁によって二の丸と繋がっていた。根占城主であった源助能が12世紀末に築いたとされる。助能の子・黒木定善は黒木荘を領し、これ以降黒木氏は代々猫尾城を本拠とした。建武3年3月8日(1336年4月27日)に足利尊氏は上野頼兼の旗下に入るよう荒木家有らに命じ、黒木城にいる南朝方の菊池武敏を攻撃させた。これによって当城は落城し、3月17日(5月6日)に頼兼の軍勢によって破却されている。当城はその後再建され、応安7年11月15日(1374年12月26日)には今川義範らの攻撃を受けて翌日に降参した。天正12年(1584年)に大友義統は筑後へ反攻し、龍造寺氏についていた黒木実久の守る当城も攻囲された。7月20日(8月25日)には水源を止められ兵粮にも事欠く状態となったが、龍造寺氏の援将・土肥家実や馬場信貞の奮戦もあって戦況は膠着した。このため立花道雪らが8月19日(9月23日)に攻城に加わり、9月1日(10月4日)に陥落した。慶長6年(1601年)に筑後に移封された田中吉政は、当城に辻重勝を城番として置き、3,605石を領知させている。元和元年(1615年)の一国一城令により廃城になったものと思われる。1983年に福岡県の史跡に指定され、跡地には遊歩道や休憩所などが設置されている。

出典:wikipedia

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