ライカマウントレンズの一覧は、ライカMマウントおよびライカLマウントのレンズの一覧。Lマウントレンズはマウントアダプターを併用することでMマウントカメラに使用できる。"ライカRシステムのレンズはライカRマウントレンズの一覧を参照のこと。ライカTシステムのレンズはライカTマウントレンズの一覧を参照のこと。"カール・ツァイスのホロゴン、ミノルタCL/CLE用ロッコール、シュナイダー・クロイツナッハのスーパーアンギュロンとクセノン50mmF1.5、ウォレンサックのベロスチグマットは純正レンズ扱いされていたためライカカメラAG/エルンスト・ライツの欄に記載し各メーカーの欄には記載しない。並び順はメーカーをアルファベット順、その中では焦点距離の短いものから、焦点距離が同じものは開放F値の明るいものから、焦点距離と開放F値が同じものは新しいものからとしてある。特記されない限りライカLマウントである。また、Lマウントでも引伸機用レンズは記載しない。シカゴにあったアルバート・ドラッカー商会("Albert Drucker & Co.," )が1940年頃に販売していた"RANGER"の付属レンズ。OEMであったようだがOEM委託先は不明。アリマツ("Allimatsu")はソリゴール("Soligor")のレンズなどの生産を日本国内の様々なメーカーに委託する際の交渉窓口となっていた会社。主にサン光機が生産を請け負っていた。アンジェニュー("P.Angénieus,Paris")が製造したレンズ。アルコ写真工業が製造したレンズ。ブランドは「コリナー」("Colinar" )。アストロ・ゲゼルシャフト("Astro-Gesellschaft m.b.h." )(旧 アストロ・ベルリン("Astro-Gesellschaft Bielicke & Co., Berlin" )が製造したレンズ。以下はミラーボックスである「アストロ-イデントスコープ」("Astro-Identoskop" )用。アベノン光機が製造したレンズ。三協光機にいた阿部設計。ブランドは「アベノン」("Avenon" )。ボシュロムが製造したレンズ。北京照相機廠(北京照相机厂)とは中国の北京にあったカメラメーカーで、1956年にライカIIのコピー機である「大来(ダ・ライ)」とその付属レンズを生産した。ドイツのカール・ブラウン・カメラヴェルク("Carl Braun Camerawerk" )が自社製カメラの"ブラウン・パクセテ・リフレクス(Braun Paxette Reflex)"の付属レンズとして製造したレンズ。コーフィールドが1953年に生産したバルナックコピー機"ペリフレックスⅠ(Original)"の付属レンズである「ルマー」("Lumar")を製造した。但し、マウントデザインはコーフィールドが行った。精機光学(現キヤノン)が自社カメラ用に製造したレンズ。同社サイトに詳細な解説あり。初期の製品はφ39mmのネジマウントながらP=1mmのJマウントであり、P=1/26inのLマウントとは異なるので注意が必要である。ブランドは当初社内公募により「セレナー」("Serenar" )を使用した。1953年より順次ブランドが「キヤノン」("Canon" )に変更された。カール・ツァイス、もしくはそのOEMで製造されたもの。ホロゴンは純正扱いなのでライカカメラAG/エルンスト・ライツ」の欄を参照のこと。ZMマウントは事実上Mマウントと互換性がある。"カール・ツァイスのレンズ製品一覧、ビオゴン、ビオター、ディスタゴン、ゾナーも参照のこと。"以下は戦前カール・ツアイス及び、カール・ツァイス・イエナ(東ドイツ)製。以下はコシナ製。ローライがローライ35RF用に販売したレンズは別項にて記載イタリアのキナーギア・ドメニコ("C.D.Chinaglia Domenico,Bulluno")が自社製のバルナックコピー機「クリスタル」("KRISTALL")の付属レンズとして製造した沈胴式レンズ。チヨカ/チヨタックス用のレンズで、『自社製』の「ヘキサー」("Hexar")、小西六写真工業製の「ヘキサノン」("Hexanon")、レナ光学製の「レナ」("Lena" )、ライゼ光学製の「ライゼ」("Reise" )があった。コーフィールドが自社製ペリフレックス用に"エナ"から購入したエレメントを、特許を持つアルミ鏡胴に組み込んで製造したもので距離計連動しない。ブランドは「ルマー」("Lumar" )と「ルマックス」("Lumax" )。イーストマン・コダックが製造したレンズ。ブランドは「エクター」("Ektar" )。エミール・ブッシュが製造したレンズ。ミュンヘンにあったエナ("Enna Werk,Dr.Appelt GmbH")が製造したレンズ。またエナはコーフィールドが製造したLマウントレンズのエレメントの製造元でもあり、ブリティッシュ・オプティカル・レンズ・カンパニーを通じて納入していた。ミラノにあったフィロテクニカ("Filotecnica" )が製造したレンズ。富士フイルムが製造したレンズ。ブランドは「フジノン」("Fujinon" )。イタリアのガットCav.アントーニオ("Gatto Cav. Antonio(Sonne),Pordenone" )が自社製のバルナックコピー機「ソンネ」("SONNE")の付属レンズとして製造したレンズ。中国の南京市にあった光学機器工場。1959年から1961年にかけて"FED Type-Ⅱ"のコピー機である「南京 M1」とその付属レンズを生産した。レンズの銘は「"南京光学仪器廠"」となっている。"I.S.O"と言う略称が一般的な、イタリアのインドゥストリア・シェンティーフィカ・オーティカ("ISO Industria Scientifica Ottica,Millano")が製造したレンズである。シュナイダー・クロイツナッハの子会社であるイスコ("ISCO Optische Werke Gmbh,")がイタリアのバルナックコピー機「レクタ」("RECTA")に付属レンズとして供給したレンズである。ケンコーが製造したレンズ。ミュンヘンで創立後リヒテンシュタインに移った光学機器メーカーキルフィットが製造したレンズ。銘は「キラー」("Kilar")。全てキルフィット・ミラーボックス("KILFIT mirror box")専用レンズである小西六写真工業/コニカ(現コニカミノルタ)が製造したレンズ。ブランドは原則テッサー型が「ヘキサー」("Hexar" )、それを超える構成の高級レンズが「ヘキサノン」("Hexanon" )。1950年代に販売されたLマウントレンズは、瑞宝光学精機のオーナー35、千代田商会のチヨカ、チヨタックスカメラのチヨタックスに装着されて販売された。1990年代後半にクラシックカメラブームでいくつかレンズを製造した。1999年に事実上MマウントそのもののKMマウントで自社カメラのヘキサーRFと以下のレンズを発売した。興和が製造したレンズ。ブランドは「プロミナー」("Prominar" )。協栄光学は三協光機から枝分かれしてできたメーカーで、製品はコムラーとほぼ同じものである。ブランドはエイコール("Acall" )。エルンスト・ライツ/ライカが製造した、または純正扱いで販売したレンズ。ライカが製造したレンズのブランドは「エルカン」("Elcan" )、「エルマー」("Elmar" )、「エルマリート」("Elmarit" )、「ヘクトール」("Hektor" )、「ノクチルックス」("Noctilux" )、ズマール("Summar" )、「ズマレックス」("Summarex" )、「ズマリット」("Summarit" )、「ズマロン」("Summaron" )、「ズミクロン」("Summicron" )、ズミルックス("Summilux" )、ズミタール("Summitar" )、「テリート」("Telyt" )、「タンバール」("Thambar" )がある。以下はテリートボックス/ビゾフレックス併用レンズ。テリートボックス、ビゾフレックスI型では135mm以上のレンズしか無限遠で使えないが、ビゾフレックスII型では65mmから全てのレンズが使用できる。新型ビゾはシャッターダイヤルと干渉するためライカCL/ライツミノルタCLには使用できない。昭和光学精機/レオタックスカメラが自社のレオタックスに自社ブランドで付属させていたレンズ。製造は複数のレンズメーカーに委託していた。ブランドは「レタナー」、「レオノン」("Leonon" )。"マイヤー・オプティク・ゲルリッツ"はかつてドイツに存在した光学機器メーカー。日本では「フーゴ・メイヤー」又は「ヒューゴ・メイヤー」の呼称で知られていた「フーゴ・マイヤー」("Dr.Rudolph Hugo Meyer & Co., Görlitz")が元々の社名。旧東独時代の1946年に人民公社に再編され、社名が「VEBオプティシェ・ファインメヒャニシュ・ヴェルケ・ゲルリッツ」に変更された。1990年のドイツ統一を機に"マイヤー・オプティク・ゲルリッツ"として独立したが、翌年終焉を迎えている。再独立後は「マイヤー・オプティク」の呼称が一般的である。千代田光学/ミノルタカメラ/ミノルタ(現コニカミノルタ)が製造したレンズ。Gロッコール28mmF3.5を除き自社製のミノルタ35シリーズ用。ブランドは「ロッコール」("Rokkor" )。"ミノルタCL/CLEのレンズは純正扱いなのでライカカメラAG/エルンスト・ライツの欄を参照のこと。"ミランダカメラが製造したレンズ。三鈴光学工業が少数製造したバルナックライカコピーのカメラ「アルタ35」用として作られた。ナショナルオプティカルは英国イングランドの光学メーカーで、Lマウントレンズはレンズ部分のみを手がけ、鏡胴部分はスコットランドのスチュワートリーに製造委託していたため、ダブルネームとなっている。ニッカカメラのバルナックコピー機は、1948年4月発売のNICCA(Original)以降、日本光学工業のニッコールが標準レンズであったが、1958年発売のNICCA 33のみNICCA銘のレンズが標準レンズとして装備されていた。日本光学工業(現ニコン)がニッカカメラ用に製造したレンズ。ブランドは「ニッコール」("Nikkor" )。ノボフレックスがシュナイダー・クロイツナッハから光学系のOEM供給を受けて製作したレンズ。イタリアのメーカーであるオフィチーネ・ガリレオ("Officine Galileo S.p.A.,Florence and Milan"、旧オーティカ・コォリストカ・ヴィクトル("Ottica Koristka Victor,Milan")が販売していたレンズ。主に同じイタリアのバルナックコピー機である「"GAMMA"」、「"SONNE"」、「"CONDOR"」、「"CONDORETTA"」に供給していた。オールドデルフトが製造したレンズ。高千穂光学工業/オリンパスが製造したレンズ。ブランドは「ズイコー」("Zuiko" )。ベルリンにあったピースカーが製造したレンズ。いずれも距離計非連動である。旭光学工業/ペンタックスが製造したレンズ。理化学研究所/リコーが製造したレンズ。1997年頃からクラシックカメラブームに乗っていくつかレンズを発売した。ローデンシュトックが製造したレンズ。ローライがローライ35RF用に販売したレンズ。ロッスが製造したレンズ。ブランドは「エクストラルックス」("Xtralux" )。略称は"SAGEM"。自社で製造したバルナックコピー機"セイジェム"の付属レンズ、及び同じフランスのバルナックコピー機"シュペーレランクス"の付属レンズの一部を製造した。銘は"ヘクサー"。三協光機は日本のレンズメーカー。ブランドは「コムラー」("Komura" または"Komura-" )。以下は1960年発売の三協光機製レフボックス「テレボックス」、1961年発売でペンタプリズム装着型に改良された「ペンタボックス」用レンズ。厚みは48mmでテリートボックスやビゾフレックスより薄いのでコムラーレンズをビゾフレックスIに装着しても無限遠のピントは出ないが、ビゾフレックスIIやIIIよりは厚いので厚みを調整するリングを入れれば無限遠でも使用できる。以下はテレコンバージョンレンズ。シャハト("Schacht" )はドイツ、ウルムのメーカー。 ブランドは「トラベゴン」("Travegon" )シーガルおよびハイオウブランドが著名な中華人民共和国の上海にある上海海鴎照相機製レンズ。バルナックライカおよびキヤノンコピーカメラ 上海58型用のレンズと、M型ライカコピーカメラである紅旗20型用レンズ。シュナイダー・クロイツナッハが製造したレンズ。スーパーアンギュロン、クセノン50mmF1.5は純正扱いなのでライカカメラAG/エルンスト・ライツ」の欄を参照のこと。以下はライキナスペシャル用。Mマウントだがイメージサークルが小さくライカMシリーズには使用できない。ベルチオ光学機械社が製造したレンズ。ブランドは「アンギュロール」("Angulor" )、「フロール」("Flor" )。共産主義体制下のためメーカーの概念がなく同一設計の製品を複数の工場で生産していたが、主にS・A・ズヴェーレフ記念クラスノゴールスク工場(KMZ)やリトカリノ光学ガラス工場(LZOS)で多く製造されており、フェリックス・ジェルジンスキー記念工場(FED)が作ったものは少ない。ブランドは広角レンズに「ルサール」("Russar" 、"РУССАР" )や「オリオン」("Orion" 、"ОРИОН" )、テッサーコピーの「インダスター」("Industar" 、"Индустар" )、ビオゴンコピーやゾナーコピーの「ジュピター」("Jupiter" 、"юпитер" )が使用される。ジュピターはユピテルとも表記されることがある。またジュピターはコンタックスマウントのものもある。1908年にドイツのアルテンスタッドに於いて設立され、1969年にアグファに買収されたスティーブル("Dr.Staeble, Friedl & Co.,Optisches Werk, Altenstadt")が製造したレンズである。オプティッシュ・ウェルケ・C・A・シュタインハイルが製造したレンズ。ブランドは「オルトスチグマット」("Orthostigmat" )、「クイノン」("Quinon" )、「クルミナー」("Culminar" )。ニッカカメラの前身光学精機社が1942年から1944年にかけて製造したニッポンカメラ(オリジナル)及びニッポンカメラIII、そして1943年から46年にかけて製造したニッポンカメラ(スタンダード)の標準レンズを作ったメーカー。また、ミランダカメラを買収したAIC("Allied Inpex Corporation" )の日本における交渉窓口だったアリマツ株式会社からの要請で"Soligor"銘のレンズを製造していた田中光学が自社カメラのタナック用に製造したレンズ。ブランドは「タナー」("Tanar" )。テーラーホブソンが製造したレンズ。レオタックス用に東京光学(現トプコン)が製造したレンズ。ブランドは最初期「ステート」を使用している。その後4枚以上構成の高級品が「シムラー」("Simlar" )で3枚構成の普及品は「トーコー」("Toko" )に変更された。1954年に「トプコール」("Topcor" )に統一された。フォクトレンダーはドイツ時代に少数のLマウントレンズを販売した。コシナがドイツのリングフォトから商標の通常使用権の許諾を受けて以降は、フォクトレンダーの名称と、かつてのフォクトレンダーのレンズ名称を継承して多数のレンズを出している。コシナにおけるフォクトレンダーのレンズの名称は、開放F値1.5以下をノクトン、F2までをウルトロン、F2よりも大きなF値ではスコパー、超広角などの特殊な焦点距離のレンズや中望遠レンズをヘリアーとしており、異常分散レンズを使用している製品にはアポランターと命名している。また、限定生産のみのヘリアー及びヘリアークラシックの名を冠した焦点距離50mmの4種のレンズと、ヘリアー40mmの1種に関しては、前述のF値による区分による銘々ではなく、レンズ構造を3群5枚のヘリアー型としていることに由来している。コシナのVMマウントは事実上Mマウントと互換性がある。"ヘリアー、ノクトンも参照のこと。"タスマニアのホバートにあるウォーターワース("E.N.Waterworth")が製造したレンズである。ロンドンのブロムニーにあったレイ(オプティカルワークス)社("Wray (Optical Work) Ltd., Bromley ,Kent")が製造したレンズである。ヴィルギン("Wirgin" )が製造したレンズ。ウォレンサックが製造したレンズ。鏡胴の製作と組み立てはニューヨークライツが行なった。純正扱いレンズについてはライカカメラAG/エルンスト・ライツの欄を参照のこと。この欄では純正ではないウォレンサック製のレンズを記載する。ヤシカが製造したレンズ。ブランドは「ヤシノン」("Yashinon" )または「ヤシコール」("Yashikor" )。安原製作所が製造したレンズ。ゼイカ光学(英語名:"Zeika")は1950~1960年代に日本に存在したレンズメーカーである。銘は「ロジャー」("ROJAR")。瑞宝光学精機は自社製オーナー35に当初小西六のレンズを使用したが後に自社ブランド「オーナー」("Honor" )に切り替えた。ズノー光学工業が製造したレンズ。どれも珍品で高価である。ブランドは「ズノー」("Zunow" )。
出典:wikipedia
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