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篠原ともえ

篠原 ともえ (しのはら ともえ、1979年3月29日 - )は、日本の歌手、タレント、女優、デザイナー、音楽プロデューサー。1990年代末期に原色を基本とした個性的なファッションと強烈なキャラクターで、「シノラー」ブームを巻き起こした。古舘プロジェクト所属。東京都青梅市出身。本名の友恵の名は、赤いシリーズのファンであった両親が三浦友和の「友」と山口百恵の「恵」から取ったものである。10歳の頃からデザインに興味を持ち、人形の服や小物を自作するようになる。幼少時は大人しい性格だったが、小学4年の時にバレエを始めたのを機に明るい性格に変わる。中学1年の時に軽音楽部でバンドを始め(ギター兼ボーカル担当)、中学3年の夏休みにソニー歌手オーディションに合格し、新人開発部に所属。デビューに向けてボイストレーニングのレッスンを受ける。1994年4月、東京都立八王子工業高等学校・応用デザイン科に進学。1995年春、ソニーのラジカセ「Dr.CHANGER」のCMの企画を持ってきたディレクターに見出され、石野卓球プロデュースにより同年7月1日に「篠原ともえ+石野卓球」名義のシングル「チャイム」でデビュー。1996年、フジテレビ『HEY!HEY!HEY!』でのダウンタウンへの機転の利いた傍若無人ぶりやレギュラー出演の『LOVE LOVE あいしてる』ゲストの楽屋襲撃コーナー「篠原ともえのプリプリプリティ!!」で人懐こいハイテンションなキャラクターで人気を得ると、数々のバラエティ番組でひっぱりだこになる。1997年3月1日石野卓球プロデュースによる最後のシングル「ウルトラリラックス」を発表。この年に東京都立八王子工業高等学校・応用デザイン科を卒業。高校の推薦により戸板女子短期大学・被服科に進学するが、裁縫技術を学ぶため翌年に文化女子大学短期大学部・服装学科を一般受験し再入学。同年4-6月、ドラマ『FiVE』で連続ドラマ初出演。同年8月には映画『デボラがライバル』で銀幕デビュー。1998年、初のバラードシングル「ココロノウサギ」を発表。エステティックサロン・たかの友梨のTVCMとして本人も出演している。前年からCMで共演していたユースケ・サンタマリアとのユニット「カロゴンズ」として2枚のシングルを発表。同年8月発表のアルバム『MEGAPHONE SPEAKS』からはセルフ・プロデュースのもと、作曲を始める。1999年、20歳の誕生日記念の日本武道館ライブでは一階アリーナ席をステージにし「篠原ともえお誕生日会 IN しのドーム」と題し無料ライブを行った。2000年1月、ファッションショー「しのコレ〜21世紀に作る21歳の篠原ともえがデザインする21体の服〜」を在学中の大学にて開催。同年10月に作詞・作曲・衣装デザインを手掛けたミュージカル『天使からの招待状』で初舞台。2001年3月、文化女子大学短期大学部・服装学科を卒業。同年ミュージカル「ありがとうサボテン先生」では出演・自身初のコスチュームデザイナーとして参加した。2002年、後にこの体験が自分の大きなターニングポイントとなったと話す、初めてのストレートプレイ舞台・第九回竹中直人の会『月光のつゝしみ』に出演する。同年So-netによるインターネットコンテンツ「Happy Store」では日本初の生中継でのレギュラーパーソナリティを務め話題となった。2004年から2008年までキッズステーションの教育番組『モンすたージオ』で歌のお姉さんとして出演の他、本人のコスチューム製作を担当し本人作詞・作曲による楽曲提供も行う。2005年、アニメ『こどものおもちゃ』がフランスのテレビ局でも放送され、篠原が歌っていた後期OP曲「ウルトラリラックス」にも注目が集まり、クラブで頻繁にプレイされるなどヨーロッパで注目を集める。そのため、篠原は2005年11月、2006年3月・6月に渡仏、パリでライブを行なっている。2004年、アストリッド・リンドグレーンの童話『長くつ下のピッピ』原作のミュージカル『ピッピ』の主演をつとめ、2006年には全国5ヵ所(東京、神奈川、愛知、大阪、福岡)で再公演された。以後、積極的に舞台に出演。ミュージカル『ブラッドブラザーズ』(リンダ役)、音楽劇『ファウスト』(マルガレーテ役)、白井晃演出『三文オペラ』(ポリー役)など、様々な作品のヒロインとして抜擢された。2008年には イッセー尾形の舞台『びーめん生活』に出演。同年蜷川幸雄演出『表裏源内蛙合戦』では妖艶な花魁を演じた。2009年、布一面に描いたイラストをその場でカットして即興の服を作るイベントを主催。また同年からはNHK教育テレビの幼児番組『みいつけた!』においてレグ役を務め、2010年からは『みいつけた!さん』にも出演、『レグ・レグ・アイドル』や『フルーツバスケット』を歌っている。2010年、「篠原ともえデビュー15周年記念ライブ ULTRA RELAX DAY 2010」をリキッドルームにて開催。東京都青ヶ島にて無料ライブと本人による解説の星空観望会も開催。この縁で東京都青ヶ島村の公式サイトには本人による星空解説がリンクされている。色彩検定・カラーコーディネーター検定・アロマテラピー検定2級に合格。2011年、NYジャパンソサイティ主催の特設ステージにてバンドヒカシューと共にニューヨークでのライブに出演。この年、自身初のロックフェス『ライジング・サン・ロックフェスティバル』に出演し、同夏、デビュー時まで在住した東京都青梅市でのライブを開催し、衣裳製作・総合演出も手がけた。天文宇宙検定3級に合格し、星空博士の称号を取得。2012年、10代の頃から自宅で製作・録音していた楽曲を、作詞、作曲、プログラミング、アートワーク、イラストデザイン、衣裳製作を手がけ完全プロデュースアルバムとして2作リリース。CD発売記念ライブではアンプラグド編成による芝居仕立てのライブを行なう。また同年からはエフエム東京で『東京まちかど天文台』のメインパーソナリティーを務めている。2013年5月に芸能事務所古舘プロジェクトに移籍。全国公開予定のことでん100周年記念作品『猫と電車』では映画主演。オープニング・挿入歌・エンディングテーマ曲は自身製作のアルバム『-:*Better*:-』から楽曲が起用されている。同年、松任谷正隆のラジオ出演をきっかけに松任谷由実のコンサート『POP CLASSICO』の衣装デザイナーに抜擢。全6着の衣装と共に全メンバーのスタイリング等も手がけた。同年から日本テレビ放送網のPON!の曜日パネラーとしてレギュラー出演を開始した他、さまざまなテレビ番組でのゲスト出演が増え「再ブレイク」と報じられた。2014年1月に、天文の普及活動による「宙(そら)ガール」の活動が認められ、「小惑星Shinohara」(14555)が国際天文学連合で学術名として正式登録された。4月には、NPO法人デザインアソシエーションが国際デザインイベント「ミラノサローネ」内で「TOKYO DESIGNERS WEEK in MILANO 2014」を開催し、篠原はこの中の「大風呂敷展」に作品を出展、同NPO団体の理事にも就任した。さらに同年には、内閣官房知的財産戦略推進事務局 の「CJムーブメント推進会議〜クールジャパンをデザインする〜」の第二期メンバーに選定され、クールジャパン戦略を所掌する内閣府特命担当大臣の稲田朋美らと共に会議に参加している。2015年、デビュー20周年を記念し、『篠原ともえ&シノラー展』と題した個展を開催する。1996年夏から1998年にかけて、個性的な篠原のファッションを模倣するティーンエイジャーの女性が数多く現れ、一種のファッションリーダーと化した。「シノラー」と呼ばれるファンを多く抱え、子供や女の子だけにとどまらず男女・年齢問わず男シノラーや親父シノラーが登場するなど社会現象となる。まもなくその名が篠原の愛称にも転じた。篠原本人のくねくねした動きや「ぐふふ〜」「クルクル!」「プリプリ!」語尾に「ですぅ〜」をつける等、ファッション以外にも言動もシノラー要素となる。シノラー初期は自身で衣裳を制作しており、スタイリストがついてからはデザイン画を描き、オリジナルの衣裳を作っている。シノラーファッションの構成要素は、お団子頭とぱっつん前髪(初期はSUPER LOVERS)、ハーフパンツにサスペンダー、くしゃくしゃ靴下にごつごつとした靴(初期はドクターマーチン)、顔に星などのシールを貼り、100円ショップで売っているキラキラしているアクセサリー、なわとびで作った腕輪と目玉指輪、縁日の露店で売っている腕パッチン(篠原曰く「ミラクル・パッチン」)と腕時計を二つ、動物キャラクターなどのポシェットをつけ、髪にはモールや、ウサギ帽子などを被り、羽を付けたランドセルなど。原色を多用しランダムに身に付ける。メイクは黒髪、ナチュラルな太眉であるのも特徴。その後パンクスタイルのパンクシノラーや子供服をアレンジしたチャイルドシノラー等、様々なアレンジもされている。トレードマークのお団子頭は事務所に所属する前に「自分が一番伝わるスタイル」と自分で考え出したもので、前髪パッツンは切ると気合が入るから。シノラーグッズは篠原本人がデザインをしたもので「シノラー人形」やビニール素材のダッコちゃん人形風の「しのタコ」といった商品もライブ会場で発売された。「シノラー人形」は初期のシノラーバージョンと、後期のうさぎシノラーバージョンの二種類があり、フジテレビ『HEY!HEY!HEY!』の出演の際には松本人志にプレゼントしたシノラー人形を投げられている。「しのタコ」は類似コピーされたものが縁日等でも売られ天才バカボンとシノラーを組み合わせた「シノラボン」等のグッズも当時、販売されていた。フジテレビ『笑っていいとも!』のコーナーテレフォンショッキング出演時には「全国シノラー選手権」が開催され、全国からシノラーファッションの若者から大人が集まり、グランプリの男シノラーには篠原本人から腕輪を授与された。フジテレビクイズ番組『カルトQ』ではシノラーが題材となり、全国から参加した若者がシノラーの知識を競い合った。お笑い芸人がしばしばネタにすることもあり、1996年12月24日放送回の『第19回笑っていいとも!クリスマスイブ特大号』ではナインティナインの矢部浩之がものまねを披露。2000年10月3日放送回フジテレビ『ものまね王座決定戦』ではダチョウ倶楽部がものまねしており、2011年11月24日放送の『アメトーーク』「泥の97年デビュー組芸人」の回ではレイザーラモンRGが番組エンディングシーンにシノラーファッションで登場し、2012年2月23日放送『ゴットタン』「第9回芸人マジ歌選手権SP」では森三中の大島美幸・黒沢かずこが「サーブスブランド」としてオリジナル曲「ふるふるフルパワー」をシノラーファッションで披露している。2013年日本テレビ系『徳井と後藤と麗しのSHELLYが今夜くらべてみました』で篠原本人のスタイリングで出演者のSHELLYが「シェリラー」として完璧なシノラーファッションを再現した。芸能界での元シノラーは、森三中の大島美幸や女王蜂のヴィーカル・アヴちゃんや倉木麻衣・森泉等が公言している。2010年「篠原ともえデビュー15周年記念ライブ ULTRA RELAX DAY 2010」にて、当時のシノラーファッションでピエール瀧と共にシノラーファッションで登場している。また、2012年11月11日に放送されたテレビ朝日『シルシルミシルさんデー』の2時間スペシャルに出演した時にはシノラーファッションからスーツ姿に変身するストーリーで番組リポートを行なっている。。初作詞は「忘れちゃうモン」(シングル「やる気センセーション」のカップリング。実質的には電気グルーヴの未発表楽曲の補作詞)。初プロデュースはしのランドPUNKの「まるもうけ」。アルバム『MEGAPHONE SPEAKS』製作時、1997年9月に初めて機材(TASCAM PORTASTUDIO 414)を購入し、作曲を始めている、その後、1999年秋までにOMNICHORD、YAMAHA MD8、ローランド・MC-303などを購入。作曲の際は、鼻歌をサンプリングして少しずつ加工し、その音源をプロの編曲家、あるいはコラボレーションするミュージシャンに渡して補作曲・編曲してもらうというスタイルを取っている。学生援護会 『an』のCMでのNOISE FACTORYのメンバー(ベーシストとキーボーディストとドラマー)との共演をきっかけに、NOISE FACTORYと結成したバンド。唯一のシングル「まるもうけ」は篠原にとって初となるセルフプロデュース作品。プロモーションビデオでは1分以上の寸劇が繰り広げられた。1997年10月から11月にかけて学園祭ツアーを行なうが、同年12月5日のNOISE FACTORYの解散ライブ (しのランドPUNKも出演)で共に解散。なお、2006年のZuTTOのコンサートの際、元NOISE FACTORYのメンバー (キーボーディストとドラマー)がバックバンドを務めている。所属事務所の先輩(当時)ユースケ・サンタマリア (ビンゴボンゴ時代から仲がよかった)とのユニット。トヨタ自動車「カローラツーリングワゴン」のCMで、ノベルティ・ソング気味のCMオリジナルソングを歌ったところ、視聴者からの問い合わせが徐々に増えてCD発売の運びになった。プロモーションで数々の音楽番組に多数出演し、ユースケがバラエティ番組に進出するきっかけを作った。ユースケの大ブレイク後、篠原は「ユースケ・サンタマリアは私を踏み台にした」というネタを頻繁に使用している。CM期間終了に伴いユニット解消。なお、カロコンズのテーマのプロモーションビデオには、「しのランドPUNKの学園祭ツアー」の際に撮影した映像が使われている。フジテレビ系 『LOVE LOVE あいしてる』で手島いさむと共演したのをきっかけに結成したライブバンド。当初は手島とのユニット「しのてっしー」だったが、すぐにEBI (ベース)が加入。EBI、手島の元所属バンドユニコーンのコーンをとり、「しのコーン」という名前になった。1997年12月から1998年2月にかけてライブハウスツアー 『しのコーン』を行なったのちに解散。オリジナル曲はないが、ユニコーンの曲を多数カバーしている。手島はその後、篠原のバックバンド「TEAM  REAM&MACHINE」のバンドマスターを務めた。フジテレビ系 『LOVE LOVE あいしてる』内の企画「GO! GO! BAND KIDS」で結成したバンド。メンバーは)、堂本剛(ギター)、堂本光一(ギター→ドラム)、篠原ともえ(ベース)、吉田拓郎(ドラム)。結成まもなく吉田拓郎が多忙を理由に脱退し、堂本光一が急遽ギターからドラムにコンバート。その際に「ドラムのビートがルーズ」というところからバンド名が決まった。なお、篠原はポール・マッカートニーのオマージュで、レフティベースを使用している。1998年7月18日、『27時間夢列島 生LOVE LOVE あいしてるスペシャル』内でオリジナル曲「The Night before your Birthday」(プロデュース:松任谷正隆)を披露して解散。その後、2001年3月31日、『LOVE LOVE あいしてる』の最終回「LOVE LOVE ALL STARSさよならコンサート」の際に再結成。堂本剛 (ギター)、篠原ともえ (ベース)、堂本光一・吉田拓郎 (ドラム)で同曲を披露し、その際に製作時の裏話なども明かされた。2005年12月、篠原が『新堂本兄弟』にゲスト出演した際にも同曲は披露されたが再結成という形は取っていない。フジテレビ系 『LOVE LOVE あいしてる』内で生まれたガールポップユニット。堂本光一による命名。メンバーは篠原ともえ、下川みくに (LOVE LOVE ALL STARS)、藤田陽子 (LOVE LOVE ALL STARS)。全員ボーカルのため、伴奏はLOVE LOVE ALL STARSに頼っている。1999年秋に結成し、主に番組内の音楽コーナーの際に活動していたが、2000年7月31日、chee'sのライブにゲスト参加。翌8月1日にLOVE LOVE ALL STARSを従えて、ライブ『ねずみがえしとLOVE LOVE ALL STARS Live 2000 「LOVE LOVE GIRL POP」』を行い、この際にオリジナル曲「LOVE LOVE GIRL POP」を披露している。同曲は同月8日のともえちゃんまつりにおいて、「篠原ともえ+下川みくに+chee's」の構成でも披露された。その後、当の『LOVE LOVE あいしてる』内で披露するタイミングを逃し活動休止状態になるが、2001年3月31日、『LOVE LOVE あいしてる』の最終回「LOVE LOVE ALL STARSさよならコンサート」の際に再び集結し、同曲を披露している。アニマックス 『ドッとKONIちゃん』のテーマソングの作曲の依頼を受けた宇崎竜童が、美空ひばりのトリビュート盤で共演した篠原にオファーを出したのがきっかけになって結成したユニット。同アニメのテーマソング「キャラだもん」をリリースし、音楽番組にも多数出演。篠原と宇崎のミスマッチさが話題になった。宇崎がかなり乗り気で新曲も作っていたが、そのレコーディング前に篠原が歌手活動を休業したためにユニットは立ち消えになった。なお同年に宇崎が主演した映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』に篠原も出演している。ともえちゃんまつりで共演して以降親友になった松本英子とのポップユニット。2004年1月28日にドリームミュージック内「ZuTTOレーベル」からシングル「明日に続く空」でデビュー。制作費を抑えて製作、300円というメジャー会社としては最小価格での販売や、卒業シーズンに合わせて小学生がクラス単位で購入する現象が起こるなどして話題になった。2006年にはシングル「恋につづく街」をライブ会場で限定販売、のちにダウンロード販売している。2007年には「フワフワの空」が映画『コーラスたい♪』の主題歌として起用され、ZuTTOの2人も特別出演した。MOLMOTTとのユニット(ゲスト・ヴォーカル)。MOLMOTTのインディース時代の曲のカバー「月灯り」をリリース。なお、MOLMOTTは2005年10月29日に活動停止を発表している。篠原の発案で「音楽とダンスの融合」を目指して結成されたアート・ユニット。ユニット名はウルドゥー語で「水のバレエ」の意味。メンバーは篠原ともえ (ボーカル)、一時帰国中の本田ゆか (音楽監督)、スティーヴ・エトウ (パーカッション)、chikage (ダンス)。同年にライブを数回行なうものの、本田がニューヨークに戻り活動停止した。ライブの一部は篠原ともえのYouTubeのチャンネルtomoeight channelで配信されていた(現在は削除)。活動停止後まもなく、篠原ともえ (ボーカル、サンプラー)、スティーヴ・エトウ (パーカッション)、KenKen (ベース)という面子でセッションバンドを結成している。電気グルーヴのレコーディングで一緒になったり、シングル「★遊FEVER★」の編曲を手掛けてもらったりと交流のあったDJKAGAMIとのエレクトロポップユニット。ライブの一部は篠原ともえのYouTubeのチャンネルtomoeight channelで、楽曲の一部はMySpace内のTokyo Flash!!!のチャンネルhttp://www.myspace.com/tomoeshinoharaで配信されていた(現在は削除)。テレビ朝日の配信動画番組『シノ×バニ』で共演しているバニラビーンズと結成したユニット。2016年9月28日にシングル「おんなのこ☆おとこのこ」を発売。きくち組(2004年に「音組」に改称)の全面プロデュースで、1996年から毎年8月8日の「フジテレビの日」に、「お台場どっと混む!」や「お台場冒険王」に代表されるフジテレビの夏の総合イベントの一環として行なわれたジョイント・コンサートの通称。1996年のフジテレビまつり以降、「篠原ともえとおともだち」→「ともえちゃんと夏休み」→「ともえちゃんまつり」→「ともえちゃんフォークジャンボリー」と名称を変遷してきた。篠原は初回から出演し、1996年は米米CLUBの石井竜也とともに司会を務め、1997年・1999年はメインアクター、2000年から2008年、2013年はアシスタントを務めた。また、1999年から、篠原作詞・作曲の「ともえちゃん音頭」がテーマソングとして使われている。※単発ゲスト出演を除く出演番組を列挙する。詳細な出演リストは公式サイトを参照。

出典:wikipedia

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