ここでは、宗教団体オウム真理教に1994年6月20日に導入された内部組織である省庁制(しょうちょうせい)について述べる。国家転覆を企てているのではないかと言った多方面からの批判を浴びたことと、組織の温存を図るため、上九一色村教団施設への強制捜査が入る前の1995年5月11日に「省庁制」は廃止された。教団では当初「部班制」が採られていた。「総務部」「広報部」「科学班」「デザイン班」などがあり、修行に専念するときに一時的に所属する「修行班」もあった。教団の組織化はそれほど進んでおらず、麻原彰晃が直接各部班の決裁をしていた。林郁夫によると、オウム真理教附属医院の患者の治療についても麻原にお伺いをたてていたという。しかし、組織が拡大したことで麻原の負担が重くなり、決裁権や人事権を教団幹部に委譲するために省庁制が導入された。省庁制導入後は上意下達の組織としての充実が図られた反面、麻原とサマナ個人との霊的な繋がりが薄れ、「尊師」は遠い存在になっていったという。1994年6月27日午前0時から、教団の関連会社、株式会社マハーポーシャ経営の飲食店であるうまかろう安かろう亭阿佐ヶ谷店において、「省庁制発足式」が開かれ、各「省庁」の「大臣」や「次官」約100人が集まり、麻原の前で決意表明を行った。この内の何人かは、当日夜に長野県松本市に赴き、松本サリン事件を起こすことになった。オウム真理教の「国家元首」神聖法皇(麻原彰晃)の下に各省庁が置かれ、大臣(長官)が「省務」を統括した。
出典:wikipedia
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