土井 敏邦(どい としくに、1953年 1月8日 - )は、中東情勢を主に扱うフリージャーナリスト及び映画監督。佐賀県旧牛津町(現小城市)生まれ、神奈川県横浜市神奈川区在住。1968年旧牛津町立牛津中学校(現小城市立牛津中学校)卒業、1971年佐賀県立小城高等学校卒業、1974年に広島大学の総合科学部に6月入試によって1期生として入学し、広大在学中に世界を放浪するなかでイスラエルのキブツに滞在しパレスチナのガッザ地区に渡航したことがきっかけでパレスチナ問題に関心を抱き、戦場カメラマンの広河隆一からパレスチナ問題に関する卒論の指導を受け、1981年同大学同学部卒業。PLO駐日代表部により出版されフォトジャーナリストの広河隆一が編集長であった「フィラスティン・びらーでぃ」と称する月刊誌の中東専門雑誌記者、朝日ジャーナル嘱託記者を経てフリー。日本ビジュアル・ジャーナリスト協会の会員でもある。1985年以来、断続的に延べ5年以上、イスラエルとその占領地(パレスチナ)の難民キャンプや村に滞在して取材を続けている。また、土井はかつて「砥川春樹」というペンネームで執筆活動を行っていた。なお、土井の年収は100万円未満である。また1986年からのべ12カ月間、アメリカ各地でユダヤ人、パレスチナ人を取材し『占領と民衆──パレスチナ』『アメリカのユダヤ人』『アメリカのパレスチナ人』の三部作を完成。1990年の湾岸危機ではアメリカのユダヤ人社会とアラブ人社会の反応を、また翌年1月の湾岸戦争ではイスラエルで占領地のパレスチナ人とイスラエル国民の反応を取材し『朝日ジャーナル』に連載。3月から2カ月間、NHKスペシャル「アメリカのパレスチナ人」制作をコーディネイト。1993年のパレスチナ暫定自治合意を機に再びパレスチナのガザ地区の難民キャンプやイスラエル国内に長期滞在し取材、ETV特集「失業と解放の1年-パレスチナ難民エルアグラ家の場合」(1994年)「パレスチナ和平の陰で──ある家族の6年」(1999年)、また「ニュースステーション」の特集で6回にわたって現地報告。2010年6月5日朝、脳梗塞で入院するが、会話のできる状態。2015年には従軍慰安婦に関する新作ドキュメンタリー映画の公開や北原みのりらとのトークショーを行った。アジアでは、1982年の「教科書問題」を機に在韓被爆者を取材、1991年には韓国民主化運動の元学生指導者たちのその後を、さらに1994年から1998年まで韓国の元慰安婦たちの現状を追い、NHKのETV特集「『分かち合い(ナヌム)の家』のハルモニたち」、NHK・BS特集「戦争・心の傷の記憶」で元慰安婦、姜徳景の半生を描いたドキュメンタリーを制作。1996年、タイ北部の農村でエイズ孤児を取材しETV特集「タイのエイズ孤児たち」を放映、翌年、ベトナムで性的暴行を受けるストリートチルドレンの少女たちを追い、ETV特集「傷つけられる少女たち-ベトナム・ストリートチルドレン物語」を制作。1998年からはタイ・ビルマ国境の密林地帯や日本国内で民主化活動を続けるビルマ人青年たちを取材し、ETV特集「密林キャンプからの報告─タイ・ミャンマー国境地帯」を、7月には「在日ビルマ人の民主化活動家・ティンチー」(日本テレビ「きょうの出来事」)を放映。さらに、日本政府の難民政策を追及した「『難民』が直面するニッポンの壁」「傷つけられる難民申請者たち」(いずれもTBS「報道特集」)「強制送還された難民申請者」(日本テレビ「きょうの出来事」)を制作。2013年、日本で生活しているミャンマー人に関するドキュメンタリー映画『異国に生きる』を横井朋広とともに作成した。この映画は「文化庁映画賞 文化記録映画優秀賞」を受賞した。また、日本国内に関する映画では、根津公子、佐藤美和子及び土肥信雄という東京都教育委員会の職務命令による君が代斉唱の監視・強制を拒否する3名の教師の姿を記録する映画として2010年に『“私”を生きる』を制作し、その映画は2010年に「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル奨励賞」を受賞し、2011年には「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に正式に出品した。そして、東日本大震災及び福島第一原子力発電所の事故に関する映画として2012年に『飯舘村 放射能と帰村』を制作し、「ゆふいん文化・記録映画祭 第5回 松川賞」を受賞した。そして、土井は『飯舘村 放射能と帰村』の英語版としてThe Town of Iitate Radiation and the Return Homeを制作した。土井は従軍慰安婦とされた朝鮮人の問題に関しても深い関心を抱き、2015年には『“記憶”と生きる』という従軍慰安婦問題に関するドキュメンタリー映画を制作した。2000年秋、パレスチナで第二次インティファーダ(民衆蜂起)が始まって2ヵ月後の2005年12月から2ヵ月間、イスラエル、パレスチナ自治区のヨルダン川西岸とガザ地区に滞在し、イスラエル、パレスチナ両面から取材、NHK・ETV特集で「イスラエル・パレスチナからの報告」(2夜連続)を放映、第1部はエルサレム問題をテーマにした「憎悪の震源地・エルサレム」、第2部はテロで娘をパレスチナ人に殺戮されながらも和平を求めるイスラエル人夫婦が、イスラエル兵士に息子を殺されたパレスチナ人との対話を描いた「平和への詩(うた)」。2002年以後もパレスチナ・イスラエル取材を継続し、ガザ地区最南端の街ラファでの家屋破壊、ナーブルス市郊外のバラータ難民キャンプのイスラエル軍の包囲、ジェニーン難民キャンプでの虐殺、分離壁、イスラエル軍のラファ侵攻、ガザのユダヤ人入植地撤退などについてNHK、TBSテレビ、日本テレビなどで放映、また複数の著書、雑誌記事などで発表した。パレスチナ・イスラエル取材結果を数本のドキュメンタリー映画にまとめ、2009年に劇場公開された『沈黙を破る』は、2009年度(第83回)キネマ旬報ベスト・テン 文化映画部門 第1位、2009年度日本映画ペンクラブ会員選出・文化映画ベスト1、第9回石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞受賞を獲得した。また、土井はガザ地区に関して取材を行い、第一部は「ラジ・スラーニの道」、第二部「2つのインティファーダ」、第三部「ハマスの台頭」、第四部「封鎖」、第五部「ガザ攻撃」という五部作である『ガザに生きる』という映画をカンパを受けて制作した。イスラエルに厳しい態度を取ることが多いため、イスラエルでのプレスカード取得(これがないと、イスラエル側からのガザ地区入りはできない)はしばしば難航した。しかし最終的には取材許可は下りていた。しかし2009年8月23日、西エルサレムのイスラエル情報省プレスオフィスでプレスカード取得を申請した際には、ついにプレスカード取得は許可されなかった。担当係官は、「以前にも警告したはずだが、プレスカードは報道機関の関係者に出すもので、ドキュメンタリー制作には基本的には出せない」と主張した。10月、今度は日本の報道機関からAssignment letter(委任状、付与状)を得た上で、現地特派員を介して取材を申請した。しかしプレスオフィスは「日本のイスラエル大使館の推薦が必要だ」と主張したため、土井はイスラエル大使館を訪問して取材目的を説明した。大使館は推薦に同意したが、結局取材許可は下りなかった。その後、ユダヤ人入植地の地元紙『イスラエル・ナショナル・ニューズ』で、プレスオフィスのダニー・シモン代表の発言として、「イスラエルは、事実を伝えない反ユダヤ主義のジャーナリストは認めないと語った。シモン氏は、意図的に虚偽を伝え、ハマスの犯罪を隠蔽するための〝イチジクの葉〟の役割を果たしているジャーナリストたちがいると強調した」と報じた。すなわち、土井は「反ユダヤ主義者」であるとイスラエル取材当局にみなされたのだろうと推定し、報道規制に対して抗議した。土井は研究者ではなくイスラエルに対して批判的な市民活動を行うジャーナリストであるけれども、長澤榮治をはじめとするパレスチナを研究対象としている研究者や大学院生との密接な対人関係があり、土井は研究者や大学院生らとともにしばしば共同でシンポジウムを行っている。研究者はアラビア語などの様々な語学を習得し、研究対象に対する研究者の個人的な情動などを表出することなく客観的で冷静に研究し分析を行っている。しかしながら、土井の場合は30年近い年月をかけてパレスチナ問題に取り組んでいるにもかかわらず、パレスチナ研究を行うために必要とされるアラビア語及びヘブライ語の語学力はない。けれども、土井はガザ地区におけるパレスチナ人の弁護士であるラージー・アッ=スーラーニーとの人脈をいかし、写真や映像を駆使しながら日本の市民社会に対してルサンチマンの雄叫びも含めてわかりやすくイスラエル、ユダヤ人、ユダヤ教に対して批判的な講演活動を精力的に行っている。さらに、土井は2014年夏季は極めて治安が悪い中ガザ地区を取材し『ガザ攻撃 2014年夏』というドキュメンタリー映画を制作した。さらに、土井は2014年10月にガザ地区に在住しているパレスチナ人の弁護士のラージー・アッ=スーラーニーを日本に招聘し、アッ=スーラーニーはガザ地区における現状に関して講演を行い、福島の現状を視察した。日本におけるパレスチナ研究者らとの密接な人脈や協力関係を構築し、彼らとのコラボレーションを伴う長年にわたるガッザ地区を中心としたパレスチナに関する貴重な映像記録を残した取材活動や、日本における報道や市民活動が高く評価されたことにより、2016年に「大同生命地域研究特別賞」を受賞した。イラク戦争直後から4度にわたりイラクを取材し、とりわけ2004年5月には「ファルージャ侵攻」直後の現場を取材した。その結果はTBSテレビのニュースや岩波ブックレットなどで報告した。2005年4月にはドキュメンタリー映像「ファルージャ 2004年4月」を完成、2005年9月にはイタリアのミラノ映画祭で上映されるなど、アメリカやヨーロッパ各地で上映されている。
出典:wikipedia
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