大井 行頼(おおい ゆきより)は、戦国時代の武将、信濃国岩尾城主。大井行真の子。通称・弾正忠、岩尾弾正とも。信濃国守護代の大井氏の庶流・岩尾大井氏の出身。天文5年(1536年)武田信虎が信濃佐久郡海ノ口城の平賀玄信を攻めた時、玄信を援け相共に防戦した。天文8年(1539年)父が没したため、家督を相続する。天文12年(1543年)武田信玄の侵攻にあい、真田幸隆の勧めに従って佐久郡の他の諸将と共に信玄に降る。その後、天文16年(1547年)佐久郡志賀城攻め、天文17年(1548年)上田原の戦いなど、信玄の信濃攻略の先鋒として戦った。天文20年(1551年)武田氏に出仕し(『高白斎記』)、子の行吉を証人として提出している。永禄4年(1561年)川中島の戦いでは、行吉と共に戦った。元亀3年(1572年)7月7日、岩尾城で死去。行年64歳。
出典:wikipedia
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