山田 晴通(やまだ はるみち、1958年10月 - )は、日本の地理学者(社会経済地理学・地域メディア論)。学位は理学博士(東京大学・1989年)。東京経済大学コミュニケーション学部教授、東京経済大学教職員組合執行委員長、日本私立大学教職員組合連合中央執行委員。松商学園短期大学商学科助教授、東京経済大学コミュニケーション学部助教授、東京経済大学教職員組合執行委員、東京地区私立大学教職員組合連合中央執行委員、国分寺地区労働組合協議会事務局次長などを歴任した。福岡県生まれの社会地理学者である。東京経済大学コミュニケーション学部教授を務めており、研究分野は英国の地方都市やメディア論、大衆文化論、ポピュラー音楽などである。東京経済大学教職員組合の執行委員や教研部長などを歴任したうえで執行委員長に就任し、東京地区私立大学教職員組合連合においても中央執行委員を務め、のちに日本私立大学教職員組合連合の中央執行委員の座に就くなど、労働組合活動にも積極的に参画した。本務である大学では「マーケティング」など地理学以外の講義を担当することも多く、東京経済大学に移ってからは10年間一度も査読論文を発表しなかったが、現在も東京経済大学に在籍し続けている。学会発表では他の研究者を名指しで批判することがあり、竹内啓一の論文を「雑文」と評したために竹内本人から皮肉交じりに反論されたり、水岡不二雄について「水岡不二雄名誉教授ヘの公開質問、あるいは、『狸』の正体」と題した発表を行っている。福岡県福岡市にて生まれた。1977年(昭和52年)に栄光学園高等学校を卒業した。東京大学教養学部文科二類に入学、1981年(昭和56年)に東京大学教養学部教養学科を卒業。東京大学大学院理学系研究科修士課程に入学、1983年(昭和58年)に修士課程を修了、東京大学大学院博士課程へ進学、1986年(昭和61年)に博士課程単位取得退学。なお、1989年(平成元年)、東京大学より理学博士の学位を取得。博士論文は田邉裕ら5名により審査された。松商学園短期大学講師就任(1990年に同短期大学助教授)。1995年(平成7年)より東京経済大学コミュニケーション学部助教授に就任、2006年(平成18年)4月より同大学教授となった。2001年(平成13年)にはオーストラリアのマッコーリー大学現代音楽研究センター客員研究員、2004年(平成16年)4月から2006年(平成18年)3月には独立行政法人大学入試センター教科科目第一委員会委員(地理)、2005年(平成17年)4月から2007年(平成19年)3月には文部科学省教科用図書検定調査審議会専門委員(音楽)も務めている。また、東京経済大学教職員組合では執行委員・教研部長を経て執行委員長に就任し、東京地区私立大学教職員組合連合にて中央執行委員などを歴任した。2014年11月には、日本私立大学教職員組合連合の中央執行委員に就任した。なお、国分寺地区労働組合協議会においては、2011年から事務局の次長を務めていた。大学院では地理学を専攻しており、博士号も地理学に関する研究で取得した。こうした本専攻と同時に、東京大学新聞研究所教育部研究生課程にも籍を置き、修了している。講師や助教授として勤務した松商学園短期大学では、地理学ではなく「マーケティング」を講じていた。また、助教授や教授を務めている東京経済大学では、地理学ではなく「コミュニケーション論入門」の講義を担当するなど、研究上の専攻と講義上の主担当が必ずしも一致していない。なお、本来の研究分野である地理学の教員としては、2007年に教授公募に応じたものの不採用に終わった。ただ、学会誌査読論文については、1990年代以降ほとんど掲載されたことがない。東京経済大学に移ってからは、一度も掲載されない状態が長らく続いていた。その結果、16年間にわたり学会誌査読論文が全く掲載されないという状態に陥っていたが、2005年に日本地理学会の学会誌に論文が一本掲載された。自身にとっては16年ぶりの掲載であり、東京経済大学に勤務するようになってからは初めての掲載となった。また、査読なしの論文についても、かつては「毎年コンスタントに書いてきた」と述べていたが、2003年夏ころから「雑文を書くのもしんどくなっている」ことを理由に、執筆することができなくなってしまった。2004年に至っては、査読なしの論文すら一本も発表できない状態となった。その後、2007年にも同様の状態となり、最終的に研究ノートを紀要に載せた一本のみに終わった。この状況について、山田自身は「スランプ」と表現している。ただ、そのスランプの原因については「特段、何か明確なスランプの理由があるわけではない」と述べており、ただ単に「研究スタイルが上手く立てられていない」だけに過ぎないと自己分析している。自身の専門分野について、山田は「これだけ専門があるということは、実は何の専門家でもないということ」だと述べたうえで、「根っからの研究者/専門家ではなく、雑多なことをブリコラージュしていく少しばかりの小器用さだけでこの仕事をやってきただけ」だと自称している。また、地理学者の竹内啓一から大きな影響を受けたという。社会経済地理学を専攻としているのも、竹内の影響によるものである。竹内の没後、山田は「自分の専攻を『社会経済地理学』と勘違い気味に自称するようになったのも、『私淑』していた竹内先生を真似てであった」と述べている。ただ、竹内の門下に入ったというわけではない。この点については、山田も「私は最後まで竹内先生の『弟子』にはなれなかった」と述べている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。