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関本郁夫

関本 郁夫(せきもと いくお、1942年7月18日 - )は、日本の脚本家・映画監督。京都府京都市出身。京都の工務店の長男に生まれる。家では工務店の後継にするつもりだったが、本人は継ぐのを嫌ったという。京都市立伏見工業高等学校建築科を卒業後1961年、東映京都撮影所製作部美術課に入社。美術課では本人が嫌だったという大工仕事ばかりで異動を希望し、製作部に異動、製作事務を担当。そこで多くの台本に目を通すうち「これなら自分にも書けそう」と思って脚本を書き始め、その脚本を当時京都撮影所所長だった岡田茂に読んでもらっていたという。その後京都撮影所では映画業界斜陽化のこともあって、助監督を大量にNET(現・テレビ朝日)に出向させた影響で助監督不足になり、その穴埋めのような形で演出部に転属し、1973年に監督デビュー。初めて監督を務めた映画は『女番長 玉突き遊び』。しかし同作品では、主演の叶優子が撮影中に重傷を負ったことで製作が中断、公開も延期になった。後に監督を務めた『女番長 タイマン勝負』の方が先に公開され、この約9か月後に『玉突き遊び』の方も公開された。そのため、デビュー作品が2本存在するということになっている。これと並行して、映画・テレビドラマなどの脚本を執筆している。1983年に東映を退社し、フリーになってしばらくは東映作品から遠ざかり、松竹・にっかつ作品、テレビドラマを手がける。そして『東雲楼 女の乱』にて東映作品に復帰する。以後は、プログラムピクチャー専門だった往年とは一転して大作を次々に監督。女性の恋の情念の描写では評価が高い。現在は、映画「およう」のロケ地で訪れたことの縁で、長野県上田市に移住している。一流大学出のエリート監督が独占した東映に於いては、珍しい高卒、しかも元は美術課で大道具助手、にも関わらず監督に昇進できたのは、東映の実質ゼネラルマネージャーだった岡田茂(元、同社社長)に気に入られていたからである。関本は演出部に移りたい一心でシナリオ修行に励み、それを所長室に持ち込み岡田に読んでもらっていた。内容は未熟であったが岡田は「ああしたらいい、こうしたらいい」と逐一批評し、岡田が企画製作本部長になって東京本社に移ってもシナリオを送ると原稿用紙10枚位にびっしり黒インクで書かれた批評文が送り返されてきた。関本は「あの時、僕の書いたシナリオを岡田社長が読んでくれるという目的がなければ、シナリオを書くという行為を放棄していたかも知れない」と述べている。前述のように初監督作『女番長 玉突き遊び』が、主演の叶優子が撮影中に重傷を負い製作が中断、公開も延期されたが、関本の熱意をよく知る岡田は、全体の3分の2を撮り終えていた同作の製作中止の断を下さず。仮つなぎもしていないバラバラのフィルムを観て「面白かったぞ」と誉め、叶の復帰後に撮影は再開され、その後も引き続き映画が撮れるようになった。その他土曜ワイド劇場、火曜サスペンス劇場など多数

出典:wikipedia

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