沢 知恵(さわ ともえ、1971年2月14日 - )は、神奈川県出身のシンガーソングライター。ピアノ弾き語り歌手。韓国の詩人である金素雲(キム・ソウン)は母方の祖父。日本人の父と韓国人の母の間に生まれる。両親ともに牧師。幼い頃より日本、韓国、アメリカを中心に移り住み、3か国語を身につける。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業。1998年、日本国籍を持つ歌手として戦後初めて韓国政府の許可を得て日本語で歌い、同年第40回日本レコード大賞アジア音楽賞受賞。2001年より毎年香川県ハンセン病療養所大島青松園で無料コンサートを開いている。東京下北沢ラカーニャにて季節公演を行っている。現在までに27枚のアルバムを発表している。有限会社コモエスタ代表取締役およびコスモスレコーズ、ともえ基金代表。一男一女の母。1971年(0歳)、神奈川県川崎市桜本(現・川崎区)で、日本人の父と韓国人の母の間に生まれる。父は戦後初めて韓国に留学した日本人・沢 正彦(1939年 - 1989年)。母方の祖父は韓国で文化勲章を受章し、日本では北原白秋らに高く評価され、『朝鮮童謡選』『朝鮮民謡選』『朝鮮詩集』(岩波文庫)をのこした文学者の金素雲(キム・ソウン、1907年 - 1981年)。祖母は韓国で「民主化の母」と慕われ、政治犯の家族を支援した金韓林(キム・ハンリム)。1973年(2歳)、韓国ソウルに移る。3歳からピアノを始め、朝から晩まで弾いていたという。1977年(6歳)、米国ニュージャージー州プリンストンに移る。ピアノ教師より現代音楽の洗礼を受け、黒人教会ではゴスペルの影響を受ける。1979年(8歳)、韓国に戻るも、政情不安定なさなか、父が民主化運動を擁護する発言をしたことから出国命令を受け、東京江戸川区に移る。以後、中学卒業までを過ごす。1986年(15歳)、都立両国高校入学後休学し、渡米。ニュージャージー州のアトランティック・シティ高校に編入。ジャズと出会う。1987年(16歳)、帰国して復学。ロックバンドを組み、ボーカルをつとめる。1990年(19歳)、東京藝術大学音楽学部楽理科入学。ライブハウスでピアノ弾き語りしているところをスカウトされ、音楽事務所と契約。1991年(20歳)、ジョージ・デューク・プロデュースのアルバム〈トモエ・シングス〉(BMG ビクター)でデビュー。FM802、FM愛知、NACK5などラジオのレギュラー番組を数多く担当する。1995年(24歳)、卒業論文「朝鮮民主主義人民共和国の音楽-イデオロギーと音楽」が優秀論文に選出され東京藝術大学を卒業。1996年(25歳)、初めて韓国ソウルでコンサートを行う。1997年(26歳)、有限会社コモエスタ設立。1998年(27歳)、NHK教育テレビ「ハングル講座」の歌のコーナーにレギュラー出演。韓国光州で行なわれた「KWANGJU JAPAN WEEK」で、日本国籍をもつ者として初めて、韓国で戦後初めて公式に日本語で歌う。許可された楽曲は《こころ》《故郷》。第40回日本レコード大賞アジア音楽賞受賞。韓国KBSテレビの国民的番組「開かれた音楽会」特番に、日本人として初出演。自らペンを取った季刊『コモエスタプレス』創刊(2008年をもって休刊)。1999年(28歳)、東京下北沢のラカーニャで季節公演を始め、活動拠点として現在に至る。2000年(29歳)、コスモスレコーズ設立。以後自作の作品はすべて同レーベルから発売している。2001年(30歳)、ハンセン病国立療養所大島青松園で初めてのコンサートを行う。以後、毎年行っている。ピースボートに参加して、ピョンヤン(北朝鮮)で歌う。2002年(31歳)、ピースボートに参加して、ベルファスト(北アイルランド)でうたう。2014年(43歳)、千葉県から岡山県に移住。
出典:wikipedia
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