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夜はともだち

夜はともだち(よるはともだち)は、1976年から1982年までTBSラジオの月曜日から金曜日の夜の時間帯に放送されていた若者向けのラジオ番組。通称夜とも。メインパーソナリティ別に、『一慶・美雄』、『生島ヒロシ』、『雄二・小朝』、『松宮一彦(コサラビ)絶好調!』の4期に分かれる。それまでの夜のTBSラジオはアダルト向けの番組が中心だったが、当時同じ時間帯で放送されていた『みのもんたのワイドNo1』(文化放送)、『大入りダイヤルまだ宵の口』(ニッポン放送)に続き、若者向け夜ワイド番組を投入する形で始まった。パーソナリティには当時、同局の深夜番組『パックインミュージック』で大きな支持を得ていた小島一慶、林美雄の2人を起用。番組開始当初は「ヨシ、イッケー」(2人の名前と「よし行け」という言葉を掛け合わせたもの)が副題のような形となっていた。番組テーマ曲はキャンディーズによるものだった。2人が街に出て女の子に声を掛け、食事をおごるなどした後スタジオに誘って、女の子に水着姿になってもらうという「赤ずきんちゃん食べちゃうぞ」コーナーが人気となった。1976年8月には、TBSホールにおいて「赤ずきんちゃん100人目選出大会」というイベントが行われた。この番組からは「夜とも新聞」という番組の情報紙が発行され、紙面には「赤ずきんちゃん〜」での女の子の水着姿の写真も載っていた。当時TBS入社3年目だった生島の人気が急上昇するきっかけともなった番組だった。番組のオープニングにリスナーの出席をとるコーナーが存在した。タイトルは「II」と書いて「セカンド」と読んだ。1978年10月からはサブタイトルに「お〜い!きいてるかい?」が付いていた。番組テーマ曲は岩崎宏美によるものだった。作曲は森田公一1978年7月5日には、同じTBSのテレビドラマ『ムー一族』の生放送(第8回)と連動しての放送が行われた。木曜日は、松宮一彦にテレビ番組『ザ・ベストテン』の追っかけマンとしての生放送の仕事があるため、代わりにコサラビ(コサキン)の2人がパーソナリティとなった。コサラビにおいては、小堺は櫻井よしこ、関根は加山雄三の物真似をやるという第1回目の放送だったが、この時はしゃべりがうまく行かず、はがきの数も2、3枚だったという(詳しくはコサキンDEワァオ!#その他の項を参照)。このような状態が2〜3回続き、2人は徐々に番組に対する意気をなくしていったため番組を降りることを決意した。だが、自ら番組を降りるのではなくTBSから降板を命じられた方がいいということで放送内で長嶋茂雄や高島忠夫の物真似や“意味ねー”擬音を頻繁に発するなど放送事故に近い、半ばヤケ気味で放送をしたところ、徐々に人気が出始めた。以降、1982年2月から3月にかけて徐々に意味のない内容のはがきが集まったり、1曲目に変わった曲や時代錯誤的な曲をかけるなど、2009年3月の最終回まで踏襲された番組の方向性が出来上がっていった。初期に二人が言っていた番組キャッチフレーズは「意味ねぇ、似てねぇ、つまんねぇ」ヤケ気味放送に手応えを感じ始めた二人は番組に「ファンの集い」の開催を直訴。しかし番組プロデューサーは「600枚の参加希望ハガキ」の条件を課す。リスナーはひとりで数十枚のハガキを書くなどの手段を講じてノルマを超える数字でクリアし1982年3月、満員のTBSホールで「コサラビファンの集い」を開催。ゲストは中森明菜、小柳みゆき、大友久美、飛び入りで松宮一彦。この時、番組の構成作家鶴間政行は上下グリーンの衣装で登場。ちなみにTBSホールの定員は300名。コサキンの番組内で“裸足の杉浦さん”と言われている杉浦ディレクターはこの時の担当であり、「リカちゃんトリオの歌」(初めてかかったのは1982年7月8日の放送)はこの時にリスナー間で盛り上がった。また、この年の9月には「ケロヨンのうた」が放送されている。この当時、松宮が担当する他の4曜日では「横浜こどもクラブ」「上尾くりきんとんクラブ」など番組が公認したリスナーグループがあった。それならコサラビでもと、リスナーが申し出たリスナーグループを2人がどんどん公認していったが、そのうち収拾が付かなくなり自然消滅したという。

出典:wikipedia

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