「15の夜」(じゅうごのよる)は、日本のミュージシャン、シンガーソングライターである尾崎豊のデビューシングル。英題は「THE NIGHT」(ザ・ナイト)。この歌は尾崎が14歳の時に、尾崎の同級生で友人の一人が髪が長いという理由で中学校の教師にバリカンで髪の毛を刈られたことに反発して、仲間と共に実際に家出した経験を基に作られ、当初は「14の夜」と作詞したかったが、それでは語呂が悪いため、「15の夜」とした。その仲間たちとよく集まり、歌詞にもある家出の計画を立てた場所は練馬区にある向山公園である。尾崎がプロデューサーの須藤晃に初めて持っていった詞であり、その際のタイトルは『無免で…』というタイトルだった。その後、デモテープの段階で『無免許』となり、さらに『15の夜』に改められた。プロデューサーの須藤晃は後に著書でこの歌の歌詞について、「誰も書いたことのないような、ティーンエイジャーのための、ティーンエイジャーによる、ティーンエイジャーの詞だった。」と書き著している。1983年12月1日にCBSソニーより7インチレコードで発売された。尾崎のライブではほぼ欠かさず演奏されていたが、通常はスタジオ録音と同じアレンジで演奏されていた。しかし、最終公演となった1991年の「TOUR 1991 BIRTH ARENA TOUR 約束の日 THE DAY」公演では、アコースティック・ギター1本での演奏が行われており、後にシングル「15の夜 (ライブ)」としてリリースされた(後述)。「15の夜 (ライブ)」(じゅうごのよる・ライブ)は、尾崎豊の13枚目のシングル。このシングルは、同年5月10日に発売されたライブアルバム『約束の日 Vol.2』に先駆けて発売された先行シングルである。本作とそのライブアルバムは1991年10月30日に行われた代々木オリンピックプール第一体育館での最終公演ライブの音源を使用している。2曲目の「ダンスホール (ライブ)」は同ライブアルバムには未収録となっているため、このライブ・テイクはこのシングルにのみ収録されている。2曲ともにアンコールの際に歌われ、アンコールの最終曲である「ダンスホール」の演奏後に、尾崎は「また次のツアーで会いましょう」という言葉を残したが、翌1992年4月25日に急死し、次のツアーは行われなかったため、尾崎が生前最後にライブで演奏した曲は「ダンスホール」となった。オリジナル盤「15の夜」(1983年)やアルバム「回帰線」収録バージョンとは異なり、全編アコースティック・ギターでの尾崎単独の弾き語りの演奏となっている。尾崎の死後、テレビの報道番組などで映像とともに多く使用されたのはこちらのバージョンとなっている。邦楽曲としては珍しくA面が(カップリング曲とともに)ライブ・テイクであるので、前述のライブアルバムに対してライブ・シングルとでも言うべき内容である。また、尾崎は以前にもA、B両面がライブ音源のシングル「DRIVING ALL NIGHT」(1985年)を発売している。尾崎の逝去から1年後である1993年4月25日にソニー・ミュージックレコーズより8センチCDで発売された。規格品番はSRDL3635。オリコンチャートで最高位15位を記録している。
出典:wikipedia
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