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日本経緯度原点

日本経緯度原点(にほんけいいどげんてん、Japan Geodetic Datum)は、日本国内の測量の基準点。東京都港区にある駐日アフガニスタン大使館(旧国土交通省狸穴(まみあな)分室)脇の空き地に設置されている。現用施設である一方で、史跡として港区指定文化財にも指定されている。測量法施行令により「東京都港区麻布台二丁目18番1地内日本経緯度原点金属標の十字の交点」と定められている(第2条第1項第1号)。同令により、基準数値を以下のように定めている(第2条第1項第2号)。以上の数値は2001年の測量法改正で採用された世界測地系にのっとり、最新の宇宙測地技術を用いて測定したものを、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響により定義し直したものである(後述)。原点方位角とは、くだけた言い方をすれば「真北はどちらか」の基準になるもので、測量法施行令により、日本経緯度原点において「真北を基準として右回りに測定した茨城県つくば市北郷1番地内つくば超長基線電波干渉計観測点金属標の十字の交点の方位角」として定められている(第2条第1項第2号)。原方位ともいう。1874年(明治7年)に海軍水路寮がこの地に観象台を設置した後、1888年(明治21年)に設立された帝国大学付属東京天文台(現・国立天文台)に移管され、1892年(明治25年)に参謀本部陸地測量部がこの天文台の子午環の中心を日本経緯度原点として定めた。しかし、1923年(大正12年)の関東大震災により、東京天文台は子午環が崩壊したため、その跡に金属標を設置し、今日に至っている。現在は、国土地理院関東地方測量部の管轄となっている。陸地測量部が原点を定める以前は、1869年(明治2年)1月に日本最初の洋式灯台である観音埼灯台の位置を布告する際にはパリを経度の初度(パリ子午線)としたり、1871年(明治4年)5月に天保山灯台の位置を告示する際にはグリニッジ天文台の位置を経度の初度(グリニッジ子午線)とする一方で、1882年(明治15年)には溜池葵町(現在の港区虎ノ門)の内務省地理局用地内に設置されていた天象台を起算点としていたところを、旧江戸城本丸天守台を経度零度とする告示が発せられるなど、政府内で測量原点の統一が図られているとは言い難い状況にあった。その後、1886年(明治19年)7月13日にグリニッジ天文台の位置を本初子午線とする勅令「」が公布されたのを機に、天文台の子午環を測量原点とすることとなった。1996年(平成8年)10月22日に、港区指定文化財(史跡)に指定された。また、2010年(平成22年)版の理科年表から、創刊以来東京の経緯度の基準として採用されてきた旧東京天文台大子午儀跡が、日本経緯度原点に変更された。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、東日本を中心に大きな地殻変動が発生し、日本経緯度原点そのものも移動した。これを受けて行われた再測量の反映として、同年10月21日に測量法施行令が改正され、原点数値のうち経度が0.0110秒だけ東寄りに改められた。緯度については改正されていない。これは、原点が真東に(90°)、277 mm移動したことを意味する。ただし、国土地理院測地部の報告論文によると、変動量は26.5cm、変動の方向は90°ではなく、91°56′42″.53であるとしている。原点方位角は1.453秒だけ増加した。なお、日本水準原点の標高も24 mm沈下したため、同日に24.4140 mから24.3900 mに改正された。国土地理院は、日本経緯度原点の地心直交座標系を次のように定義している。この値も、東北地方太平洋沖地震の影響により2011年10月21日に定義し直されたものである。改正以前の定義値は、であった。改正後と改正前との差は、である。したがって、formula_1 であり、296mmだけ地球中心に近づいたことになる。

出典:wikipedia

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