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リンク栃木ブレックス

リンク栃木ブレックス(リンクとちぎブレックス、)は、栃木県宇都宮市を本拠地としてB.LEAGUEに所属するプロバスケットボールチームである。略称「栃木」。旧称「栃木ブレックス」。運営会社は株式会社リンクスポーツエンターテインメント。2008-09シーズンよりトップリーグ(JBL→NBL)に参戦している。ENERGIZE(エナジャイズ)・プロチームとしてプライドを持ち、自分達自身が日々力強い努力を重ね、エネルギッシュでイキイキとした精神的なプレーすることで、周囲の人々に元気や活力を与えられるチームを目指す。また、昨年からスタートしたBREX SMILE ACTIONをはじめ、より精力的に地域貢献活動に取り組み、地域を活性化させる存在になるという想いも込め、今シーズンのスローガンを「ENERGIZE」に決めた。2013-2014シーズン、リンク栃木ブレックスはこのスローガンのもと、活動していく。なお、B.league最初のシーズンとなる2016-17シーズンは、B.league初代王者という"最大"の目標に向け一人一人が"最大限"出来ることをやりぬくため、「TO THE MAX」というスローガンで臨む。"ブレックス"の意味"リンク"の意味栃木県の姉妹提携州である米国インディアナ州にあるNBAチーム「インディアナ・ペイサーズ」のチームカラーを踏襲している。ペイサーズに敬意を表し、またNBAのプレーやエンターテイメントを手本としたいという思いを込めている。「強く愛されるモチベーションあふれるチーム」「多くの人達に「何か」を提供できるチーム」メインとなるホームアリーナはブレックスアリーナ宇都宮(宇都宮市体育館)。ホームゲームは宇都宮以外の栃木県内各地でも数試合行う。過去には群馬県・福島県でも開催していた。なお、2013-14シーズンはブレックスアリーナが大規模改修工事に入るため開幕戦2試合のみとなった。2004年12月、栃木にプロバスケチーム設立を目指し活動開始。2007年より開幕する日本バスケットボールリーグ(新JBL、当時は「新リーグ」)への参戦を目指し、2005年12月「栃木県にプロバスケットボールチームを作る会」を結成。(当時他にbjリーグ参戦を目指す団体もあった)2006年6月、栃木県出身の駒澤大学バスケットボール部OB、金井亨が中心となり運営母体「ドリームチームエンターテイメント栃木」(DTE栃木)を設立し新リーグへの参入を正式に申請する。いったんは参入の内定をもらったものの、諸事情により最終的には参戦に至らず。しかし、その後同年限りでバスケットボール日本リーグ撤退を決めていた大塚商会アルファーズから会員資格を譲渡され、「栃木ブレックス」として、新JBLの下部リーグとして旧日本リーグを受け継ぐ日本バスケットボールリーグ2部機構(JBL2)に参加する事が決定。これは大塚商会創業者である大塚実が栃木県出身である縁から、アルファーズ元スタッフがDTE栃木に参画していたことによるものである。経営コンサルティング会社のリンクアンドモチベーションとメインスポンサー契約を結び、社長には元アメリカンフットボール選手であり同社のコンサルタントを務める山谷拓志が就任。初代ヘッドコーチに大塚商会アルファーズ元コーチの金田詳徳が就任する。選手は全員がプロ契約で、その内、2006-07シーズンの大塚商会の選手は3名、元bjリーグ選手が2名である。初年度となる2007-08シーズンはレギュラーシーズン3位ながらファイナルまで進み、レギュラーシーズン1位の千葉ピアスアローバジャーズを下し初代JBL2王者となる。オーエスジーフェニックス東三河が2007-2008シーズン限りでJBLからbjリーグへ転籍したため、2008-09シーズンよりJBLに昇格。昇格にあたりチーム名の命名権をメインスポンサーのリンクアンドモチベーションに売却し、4月1日より「リンク栃木ブレックス」とする。またヘッドコーチに秋田県立能代工業高等学校で監督を務めた加藤三彦が就任。山谷はゼネラルマネージャーも兼任する。新入団選手に加藤の高校の後輩かつ教え子でもある高久順ら、移籍選手として日本代表の川村卓也、元日本代表の伊藤俊亮、地元出身の大宮宏正らを獲得した。さらに2008年8月31日、加藤の高校の後輩かつ教え子である元NBA選手の田臥勇太を獲得した。シーズン開幕後、序盤は苦戦が続いたため加藤がヘッドコーチを更迭される。後任にはいすゞ自動車・JOMOでコーチ歴のあるトーマス・ウィスマンが就任し、その後は調子をあげたものの、プレーオフは惜しくも逃す。2009年、リンクアンドモチベーションの完全子会社化。これに伴い運営会社も「リンクスポーツエンターテインメント」に改称。ウィスマンヘッドコーチと2年契約を締結。新人選手としてスラムダンク奨学生第1号の並里成を獲得。2010年3月20日に行われた三菱電機戦の勝利でレギュラーシーズン4位以上が確定し、JBL昇格後初のプレーオフ進出が決定。レギュラーシーズンは最終的には2位となる。本拠地・宇都宮で行われたセミファイナル・パナソニック戦を2勝1敗で通過し、ファイナルに進出。ファイナルではアイシンシーホースに3連勝し、初優勝を果たした。プロチームの社会人日本リーグの1部リーグ優勝は、日本協会及び旧日本リーグ機構主催時代を含め42年の歴史で初めてとなる。チームを優勝に導いたウィスマンは日本代表HC就任のため、契約を1年残しHCを勇退。後任にはブルース・パーマーに内定していたが、前所属との契約解除を巡るトラブルのため断念する。中国(CBA)江蘇ドラゴンズのHCジェイソン・ラベドーと2年契約を締結。日本人選手との契約は全員と継続。7月30日には鹿沼市との間で「マザータウン」協定を締結。2007年より鹿沼総合体育館(フォレストアリーナ)を練習拠点として活動してきたが、締結後はマザータウンとして鹿沼市での活動をより積極化する。同年より下部育成チーム「TGI D-RISE」がJBL2参入を果たす。12月15日、成績不振のためラベドーHCを解任、パーマーが改めてHCに就任した。東日本大震災の影響でシーズン終盤は中止。2011-12シーズンはパーマーHCが続投、ACにbjリーグ・京都ハンナリーズ元HCの青野和人を迎え入れる。町田洋介が引退、並里成、大宮宏正らが移籍したものの、新戦力として北海道から山田大治、アイシンから網野友雄らが移籍加入した。外国人としてNBAでもプレー経験を持つナイジェリア出身のオルミデ・オイデジ、前日立のタイラー・スミスが加入。12月には「東日本大震災復興支援チャリティーゲーム・コジマ presents KIZUNAドリームマッチ2011」をブレックスアリーナ宇都宮で開催した。しかし、このシーズンはプレーオフ出場を逸し、その責任を取る形でパーマーHCを2012年3月12日付けで解任し、青野ACをHC代行として残り4試合で指揮を執ることになった。また、設立当時からチームを支えた山谷も同シーズンを最後にGMを辞任、日本バスケットボール協会新リーグ運営本部副本部長兼COOに就任。2012-13シーズンは新GMに取締役の鎌田眞吾、新HCにアテネ五輪リトアニア代表HCを務めたアンタナス・シレイカが就任。オフには片岡大晴が移籍。田臥勇太も一度はリスト入りしたものの再契約。新戦力として東芝から移籍の宮永雄太、筑波大卒の田渡修人が加入した。2013-14シーズンよりJBLはNBLに改組され、引き続き同リーグに参加することになった。これに伴い、GM辞任後も代表取締役だった山谷はNBL専務理事COOに就任のため退任。オフには安齋竜三が引退、川村卓也がNBA挑戦のため退団(最終的には和歌山へ移籍)、伊藤俊亮、梁川禎浩、宮永雄太も移籍した。一方で休部となったパナソニックから渡邉裕規を獲得。9月10日、bjリーグの京都ハンナリーズとプレシーズンを行う。このシーズンはブレックスアリーナ宇都宮が大規模改修工事に入るため、ホーム開幕2試合のみの開催となり、主に宇都宮市清原体育館でホームゲームを行った。2014-15シーズンよりトーマス・ウィスマンがHCに復帰。2015-16シーズンは翌シーズンよりBリーグに移行するためNBLとしてラストシーズン。2016-17シーズンよりBリーグが開始され、初年度は1部(B1)に所属することになった。宇都宮市が推進する「施設愛称によるプロスポーツ応援事業」の一環として、ホームアリーナである宇都宮市体育館を2009年5月より2013年3月まで愛称を「ブレックスアリーナ宇都宮」としている。これは施設命名権とは異なり市が無償で命名しているものであり、公共施設にチーム名が愛称として使用されるのは日本初である。同じく宇都宮市をホームとする日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟する栃木SCが練習場に使用し、自転車チームの宇都宮ブリッツェンも協議に入っている。リンク栃木ブレックスでは、二軍に当たる組織として「TGI D-RISE」を結成しており、2010年よりJBL2に参戦している。2007年のチーム発足に当たり、栃木県のバスケットボールにおいて顕著な功績を収めた功労者を称えるため、「栃木ブレックス殿堂」(後に改名)を設立した。現在、以下の7名が表彰されている。県民、とりわけバスケットファンの宇都宮市民らの協力が、チームの急成長に大きく貢献している。また、チーム自体も、県内各所でバスケ教室を開催するなど、バスケットボールの普及活動を行っている。主な地域密着活動は以下の通り。地元テレビ局であるとちぎテレビではJBL2時代より中継を実施しており、JBL昇格後は開幕戦及び宇都宮で開催されたオールスターゲームの生中継も行った。2009-10シーズンはホームゲーム生中継が増加しただけでなく開幕戦を含むアウェーゲーム2試合も録画中継することになった。さらにプレーオフ進出に伴い、セミファイナル3戦を録画中継、ファイナル第3戦(これが優勝決定試合となった)は生中継が決定した。とちぎテレビではローカルニュース番組「イブニング6」内でブレックス応援コーナー「DUNK 愛LOVE BREX」が放送されている。現在もとちぎテレビでの主管試合中継をスカイ・エーとの共同制作により、栃木県内には生中継で、スカパー!や全国の契約ケーブルテレビ局では後日録画中継で放送されている。チーム関連のラジオ番組としては、栃木放送では「CRTイヴニングタイムズ」内コーナー「Best!ブレックス!」、RADIO BERRYで「B-BOX」内コーナー「あやえもんのGO!GO!BREX!!」、川村卓也がメインパーソナリティの「川村卓也のたくやんちゃレディオ!」(川村の出身地にあるFM岩手へもネット)、NHK宇都宮放送局では「とちぎ6時です!」内コーナー「ブレックス応援リーグ」が放送されている。2010年7月7日に本拠地であるブレックスアリーナ宇都宮にて開催されるバスケットボール男子日本代表VS東莞レオパーズの強化試合は、運営会社であるリンクスポーツエンターテインメントが主管して行われた。その後も、7月27日に(ブレックスが主催試合を開催した事のある)福島県須賀川市で開かれたレバノン戦も主管となった。2010年11月5日、新たな練習施設として「BREXコミュニティーセンター(仮称)」を建設することを発表した。この施設は宇都宮市清原工業団地の鈴運メンテック株式会社清原営業所内に建設され、体育館が中心となるが、文部科学省が推進する「総合型地域スポーツクラブ」の役割を担うため、各種施設を複合させた「コミュニティーセンター」として、スポーツ振興や交流の中核として想定されている。最低限としてトレーニングルーム・選手寮・クラブハウスを備え、天然芝グランド・自転車周回コースも計画に上げていた。2011年9月6日、「BREXバスケットボールコート」としてオープン。2012年よりチームが使用しない時間に限りレンタルコートとしての利用を開始した。

出典:wikipedia

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