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小林-オマリーの14球

小林-オマリーの14球(こばやし-オマリーの14きゅう)は、1995年の日本シリーズ第4戦(1995年10月25日、明治神宮野球場)11回裏における、オリックス・ブルーウェーブの小林宏投手とヤクルトスワローズのトーマス・オマリー内野手の1打席の対決をいう。単に小林の14球とも呼ばれる。この場面はフジテレビの中継で瞬間視聴率55.9%を記録している。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により壊滅的なダメージを負った神戸にフランチャイズを置くオリックスは、1995年限定でユニフォームの袖の「KOBE」の上に「がんばろう」のワッペンを貼り、神戸復興のシンボルとしてパシフィック・リーグを制した。しかし日本シリーズでは2年前に日本一を経験しているヤクルトが相手。神戸で開幕したシリーズもペナントレースで守護神として活躍した平井正史が立て続けに救援失敗するなど、たちまち3連敗。第4戦も1-0とヤクルトがリードしていたが、オリックスは9回表に先頭の小川博文が完封目前の川崎憲次郎から同点ホームランを放ち、延長戦にもつれ込んだ。オリックスベンチは延長10回から5番手投手として小林を投入。しかし11回裏、一死から2番荒井幸雄が四球で出塁(代走橋上秀樹)、さらに3番土橋勝征が左前安打で続き一死一二塁で安打でサヨナラも見えてくる場面。ここで打席には、後にこのシリーズのMVPを獲得することになる4番オマリーを迎える大きなピンチ。このときブルペンでは前日先発したばかりの星野伸之が準備をしていたが、仰木彬監督は小林を続投させた。小林は前日の第3戦にも星野降板後の2番手投手としてシリーズ初登板したが、7番打者ヘンスリー・ミューレンへの初球を安打されて降板していた。小林はオマリーに対して2球を続けてストライクを取って2ストライクに追い込むが、3球目は外れてボール球となる。その後、10球の投球は8球のファウルと2球のボール球となり、8球のファウルの内2球がサヨナラホームランかと思うような大飛球のファウルであったことで、徐々に1球ごとの緊迫感が増していった。22時以降のため鳴り物応援が禁止されており、1球投げるごとに観客のどよめきが球場に響きわたっていた。ストライクカウントが2-3になった小林の14球目はオマリーの空振りでストライクとなり、小林はオマリーから三振を奪った。小林が1球目を投じてからオマリーが三振に倒れるまで、実に約12分20秒も要した勝負であった。小林は次打者の古田敦也も中飛に打ち取り、11回裏のピンチを脱した。次の12回表にオリックスの4番D・Jが伊東昭光からソロホームランを放ち勝ち越し。平井はこの試合ベンチを外れており、小林は12回も続投。12回裏を無失点で抑え、このシリーズにおけるオリックスの初勝利に貢献し、勝ち投手となった。翌第5戦は、この試合に先発予定だった小林を前日に投入したため、オリックスは高橋功一を急遽先発に起用したが、オリックスは第5戦を落とし、1勝4敗でシリーズに敗れた。この年の日本シリーズ最高殊勲選手(MVP)はオマリー、敢闘選手に小林が選ばれた。

出典:wikipedia

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