前田 利豁(まえだ としあきら)は、上野七日市藩の第11代藩主。七日市藩前田家11代。文政6年(1823年)1月9日、越中富山藩の第9代藩主・前田利幹の八男として江戸で生まれる(異説として第10代藩主・利保の弟であるという説もある)。第10代藩主・利和の養子となり、利和が天保10年(1839年)11月12日に死去したため、天保11年(1840年)2月2日に家督を継いで第11代藩主となる。天保12年1月8日、町家で火事が起こり、陣屋や長屋などほとんどが類焼してしまった(俗に「燈籠火事」といわれる)。この年、大坂城の警護を命ぜられる。天保13年(1842年)に藩校・成器館を創設する。天保14年に藩邸(現存している建物)を再建する。嘉永2年(1849年)2月の旱魃で藩内が大被害を受けると、本家の加賀藩から援助を受けた。嘉永6年、黒船来航により、江戸警備を命ぜられた。慶応2年(1866年)には江戸詰の留守居・横尾鬼角らによって、利豁を廃立して若年の利昭を擁立し、藩政を独占しようという陰謀が企てられたが、加賀藩によって鎮圧された。またこの年、上野国吉井ならびに下仁田の警護をする。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に恭順し、会津藩に出兵する。明治2年(1869年)6月の版籍奉還で七日市藩知事に任じられるが、8月2日に家督を長男・利昭に譲って隠居した。明治10年(1877年)8月16日、東京にて死去した。享年55。
出典:wikipedia
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