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桐山清澄

桐山 清澄(きりやま きよずみ、1947年10月7日 - )は、将棋棋士。棋士番号は93。増田敏二六段門下。奈良県下市町出身。棋聖、棋王のタイトルを獲得。竜王戦1組通算7期、名人戦A級通算14期。男性。5歳ぐらいの頃、縁台将棋を見て将棋を覚える。1958年、7級で入門。旧制度の奨励会三段リーグに1964年前期から在籍。3期目に11勝1敗というずば抜けた成績で関西優勝をするが、中原誠との東西決戦で昇段を逃す。しかし、次期の1965年度後期で再び11勝1敗で1位となり、規定により東西決戦なしで四段昇段(プロ入り)を果たす。順位戦では、第23期(1968年度)のC級2組で11勝1敗(1位)、第24期(1969年度)のC級1組で10勝2敗(2位)、第27期(1972年度)のB級2組で8勝2敗(1位)でそれぞれ昇級。そして、第29期(1974年度)のB級1組で12勝1敗で1位の成績を収め、1975年4月にA級八段となった。四段から八段までの昇段が、すべて順位戦の規定での昇段である。以降、12期連続でA級在籍。1975年度、王座戦の決勝三番勝負で中原誠を2-0で破り、棋戦初優勝。1976年度前期の棋聖戦でタイトル初挑戦。大山康晴に1-3で敗れ、奪取はならなかった。1976年度前期の早指し選手権戦で優勝。同棋戦では、1983年度に2度目の優勝をしている。1980年度の順位戦A級リーグにおいて7勝2敗で優勝し、1981年の名人戦の挑戦者となるが、中原との七番勝負は1-4で敗退。1983年度の第22期十段戦でも中原に挑戦したが、七番勝負は2-4で敗退。1982年度、第1回全日本プロトーナメントにおいて、決勝三番勝負で青野照市に2-1で勝利し、初代優勝者となる。1984年度、第10期棋王戦五番勝負で米長邦雄四冠王(当時「世界一将棋が強い男」と言われた)を3-1で破り、初のタイトル獲得。米長の永世棋王獲得(5連覇)を阻止した。翌年度、谷川浩司に0-3で奪われる。1986年度から1987年度前半にかけては、大活躍する。第48期(1986年度前期)棋聖戦五番勝負で、またも米長邦雄からタイトル奪取し(3-1)、2度目のタイトル獲得。王座戦で中原誠に挑戦(0-3で敗退)。第49期(1986年度後期)棋聖戦で南芳一の挑戦を3-1で退け、タイトル初防衛。さらに、第50期(1987年度前期)棋聖戦で西村一義の挑戦を3-0のストレートで下し、棋聖3連覇(半年後に、南芳一に0-3で奪われる)。1988年度、第1期竜王戦で1組優勝。2007年8月9日、公式戦通算900勝を達成した。史上9人目で、59歳での達成は最年長記録。2010年の春の時点で、順位戦でB級2組、竜王戦で2組に在籍していたが、(内藤國雄と森雞二がC級1組に降級、森雞二は竜王戦でも4組に降級したことで、還暦過ぎはB級以上も3組以上も桐山のみとなった)。第70期(2011年度)順位戦でC級1組に陥落。順位戦B級以上で、還暦を越えた現役棋士は2013年現在、青野照市九段のみになった。竜王戦と順位戦のクラスは、"将棋棋士の在籍クラス" を参照。

出典:wikipedia

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