武生事件(たけふじけん)とは、1949年9月20日に福井県武生市(現・越前市)で発生した裁判所および検察庁施設への放火事件である。1949年9月20日午前5時頃、福井地方裁判所武生支部及び福井地方検察庁武生支部の建物から出火。一時間あまりで裁判所の裁判記録、検察庁の証拠書類等を含め全焼した。地方における司法行政の中核を成す施設での火災であること、加えて消火活動に向かう消防車が走行の妨害工作を受けたことなどから、警察は悪質な放火事件として断定。捜査が進められた結果、暴力団組長及び組員らが検挙されるに至った。首謀者として逮捕された在日朝鮮人の暴力団組長に死刑が求刑されたが、無罪判決。共犯として起訴された組員による単独犯行として、求刑通り無期懲役が言い渡されている。死者が0で死刑が求刑された、数少ないケースの一つ。1951年 6月27日 福井地裁 無罪判決(別件の暴行・公務執行妨害・傷害・銃刀法違反で懲役1年判決)1954年 4月24日 名古屋高裁金沢支部 検察側控訴棄却上告せず、確定主犯の暴力団組長は、元在日本朝鮮人連盟の支部員であり、連盟を解散させられたことから、司法に恨みを持っていたこと。また、傷害事件や公務執行妨害を繰り返しており保釈中ではあったものの、裁判所で未審理の犯罪を数件抱えており、将来的には収監されることが確実であったことから、裁判所に放火し、騒ぎに乗じて裁判記録の隠滅を図ろうとした。後者の動機に関しては、同じ境遇の組員や新聞社経営者などが複数存在し、次第に共犯が増加、最終的には放火担当、連絡担当、見張担当、妨害担当にまで役割が細分化された一大犯行グループが形成されていた。
出典:wikipedia
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