


丘 灯至夫(おか としお、1917年2月8日 - 2009年11月24日)は作詞家。本名は西山安吉。丘灯至夫以外にも丘十四夫、河野一郎などの数々のペンネームを持つ。好々爺として知られ、その明るい人柄から作品も明るい青春歌やホームソング的なものが多い。代表作は『高原列車は行く』、『高校三年生』、『憧れの郵便馬車』など。アニメの主題歌なども手がけており、『ハクション大魔王』、『みなしごハッチ』、『ガッチャマンファイター』などが知られている。ペンネームの由来は、新聞記者としての経験から「押しと顔」を逆から読んだものといわれている。新聞記者は押しが強くて面の皮が厚い、と言われることから。息子は救心製薬社員の丘きんじ。福島県田村郡小野新町(現・小野町)の西田屋旅館(現存)の六男として生まれる。1929年、福島県郡山市立金透小学校尋常科を卒業。1932年、福島県郡山市立郡山商工学校(現・福島県立郡山商業高等学校)商業科を卒業。少年時代は体が弱く、よく家族に連れられて福島県猪苗代町の旧・沼尻鉄道に揺られて中ノ沢温泉へ湯治へ出かけていた。その記憶が、のちにヒット曲『高原列車は行く』の誕生に繋がる。体が弱かったため仕事が長続きせず、職を転々とする。ひたすら読書にふけり、詩人・西條八十主宰の雑誌に作品を載せてもらったり手紙を出したりしているうちに交流を持つ。1935年、18歳の頃に西條に弟子入り。詩、歌謡、童謡などの作詞の道に進む。1941年、NHKに入局。郡山放送局(当時)に勤務し、一時アナウンサーも務める。1942年、NHKから毎日新聞社(東京)に転職し地元の福島支局記者となる。1943年、小柄で脊椎が悪くいつもギプスを着用していた灯至夫にも召集令状が下る。海軍に配属されたものの病気になり、海軍病院に入院し召集解除されている。1948年、毎日新聞東京本社出版局に転勤し、毎日グラフ記者として活躍。1949年、たまたま手がけることとなった『母燈台』(三益愛子主演映画の主題歌。歌手:霧島昇)の作詞をきっかけに、日本コロムビア株式会社の専属作詞家となる。なお、作詞家となった後も毎日新聞社には籍を置き続けており1972年に毎日新聞社を定年退職している。その際、毎日新聞社会長より終身名誉職員の名を与えられ出版局特別嘱託となる。 1963年、『高校三年生』他の作詞により日本レコード大賞作詞賞を受賞。1964年、童謡『ワン・ツー・スリー・ゴー』により日本レコード大賞童謡賞を受賞。1982年、地方自治功労により福島県田村郡小野町特別功労表彰を受ける。1988年、芸術文化功労により勲四等瑞宝章受章。1993年、福島県田村郡小野町に「丘灯至夫記念館」(ふるさと文化の館内)がオープンし2001年に小野町名誉町民第1号となる。2009年11月24日、腎不全のために東京都内の病院にて永眠。。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。