円満院(えんまんいん、旧字体:圓滿院、新旧混用:圓満院)は、滋賀県大津市園城寺町33にある天台宗系の単立寺院(元天台宗寺門派)。門跡寺院。近畿三十六不動尊第二十五番。円満院では自らを圓満院門跡(えんまんいん もんぜき)と表すことも多い。水子供養の寺として「日本水子供養霊場会総霊廟所」を自称する。寺内には本堂や宸殿のほか、宿坊・三密殿と大津絵美術館を併設している。寛和3年(987年)に村上天皇の皇子悟円法親王により創建されたと伝わるが、平安時代中期の参議・藤原資房の日記『春記』には、園城寺の明尊が長久元年(1040年)に後朱雀天皇の支援を受けてこの地に新しい寺を創建し「圓滿院」と命名したという消息が記されている。入母屋造、杮葺。当初は元和5年(1619年)に2代将軍徳川秀忠と御台所江姫の五女・和子(東福門院)が後水尾天皇に入内した際に禁裏に造営されたものと伝わる。その後正保4年(1647年)になって和子所生の明正天皇によりこれが円満院に下賜されて同地に移築されたもので、明治35年(1902年)には国の重要文化財に指定された。間取りは南北2列の計6室からなり、北西に位置する一の間には後水尾天皇が座ったと伝わる御座もある。各室には狩野派による障壁画が描かれていたが、今日見られるものは複製で、原本の障壁画は京都国立博物館に収蔵されている。宸殿の南側にある庭園は、国の名勝及び史跡に指定され、室町時代の造園家・相阿弥の作と伝えられる池泉観賞式庭園である。中央に細長く池を掘り、建物と池の空き地には白砂が一面に敷きつめられ、池の背後には自然の地形を生かした築山があり、池の中には鶴島・亀島が浮かび、高く巨大な石橋が架けられ、池泉観賞式の「鶴亀の蓬莱庭(ほうらいてい)」として不老長寿を願い、慶祝を表す庭となっている。2009年5月、重要文化財に指定されている宸殿など建物9棟と庭園など土地約1万4000平方メートルが大津地方裁判所によって競売にかけられ、約10億6700万円で滋賀県甲賀市内の宗教法人に落札されていたことが判明した。この競売にともない、同年8月20日には円満院の所有権をこの宗教法人に移転する法的な手続きが完了した。文化庁は「異例の事態」とコメントしている。以下の文化財は第二次大戦後に円満院の所蔵を離れたものである。所在地は滋賀県大津市園城寺町33。京阪電気鉄道 石山坂本線 三井寺駅徒歩8分。※円満院の所有権が滋賀県の宗教法人に移った後も、重文の宸殿や庭園などの拝観は引き続き可能である。※カッコ内は30名以上の団体割引料金円満院の護摩法要は、御本尊の不動明王の前に護摩壇を設け、護摩木と呼ばれる特製の薪に祈願者が自ら願文や氏名などを記し、これを護摩壇で焼くことで心の迷いや煩悩も焼き尽くし、願いをより清浄されたものとすることでその高揚を引き出し、これによって祈願成就を祈る法要である。円満院では毎月第2日曜日と28日の両日を「お不動さんの日」として、円満院に伝わる秘仏金色不動明王の力で運を開き願いを叶える護摩供を厳修している。誰でも参加できる。
出典:wikipedia
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