牛田(うした)は、広島市東区に位置する地区である。ここでは「牛田」を町名に冠する同区内の地区の総称として用いる。牛田旭は一丁目から二丁目まであり郵便番号732-0067、牛田新町は一丁目から四丁目までで732-0068、牛田中は一丁目から二丁目までで732-0065、牛田東は一丁目から四丁目までで732-0063、牛田本町は一丁目から六丁目までで732-0066、牛田南は一丁目から二丁目までで732-0064 、牛田山は732-0061、牛田早稲田は一丁目から四丁目までで732-0062である。当地域の人口は29,708人。広島県を流れる太田川が下流域で太田川放水路・旧太田川(本川、ほんかわ)・京橋川に分岐する地点から河口部近くに位置している。地形的には牛田山頂から西に延びる丘陵(新山(にいやま)など)によって大まかに二分され、北が牛田新町の3・4丁目地区(かつての「新山村」)、南は上記の丘陵と二葉山に挟まれる谷間から京橋川沿岸へと下っていく低地部で、かつての牛田村の中心地である。北側…牛田山を隔てて戸坂(へさか)南側…二葉山を隔てて山根町・光が丘、二葉の里西側…太田川を挟んで西区大芝・安佐南区祇園、また京橋川を挟んで中区白島東側…牛田山を隔てて中山地名の由来は、古来この地が公卿大人の所領地で「大人田」(うした)と呼ばれたことにちなむとの説(芸藩通志)、斥鹵(せきろ / アルカリ土壌の荒れ地)が開拓されたことから「潮田」(うしおだ)と呼ばれたとの説、あるいは牛牧の地などの説がある。明治22年(1889年)町村制発足にともない、現在の牛田地区にほぼ相当する領域には安芸郡牛田村が設置された。昭和時代初期、全国的に市町村合併の動きが進行すると、昭和4年(1929年)、牛田村を含む広島市周辺の7町村は同市に編入合併した。これにより旧牛田村域はそのまま「広島市牛田町」へと町名変更されたが、同町はきわめて広範囲であるため平地部を中心に牛田南町・早稲田・牛田旭町・牛田本町・牛田新町など下位の小地名(正式の町名ではない)に慣行的に分けられていた。1970年の町名変更により、上記の牛田町は大部分が牛田南・牛田東・牛田早稲田・牛田旭・牛田新町・牛田山・牛田中・牛田本町に分割、1974年には残りの町域が戸坂地区(戸坂くるめ木)に編入され、町名としての「牛田町」は消滅した。これらの各町は1980年に広島市が政令指定都市に移行したさい東区に属した。また牛田は地区内を通る公共交通機関がバスしか存在しない状況が長く続いていたが、1994年になって新交通システム・アストラムラインが開通、地域内に初めての鉄道駅として牛田駅および不動院前駅が開業した。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。