山田 親太朗(やまだ しんたろう、1986年7月10日 - )は、日本の俳優、タレント、歌手、モデル。沖縄県出身。アワーソングスクリエイティブ所属。身長179cm。姉はファッションモデル・女優・タレントの山田優。俳優の小栗旬は義兄にあたる。母親は初代「ミス沖縄」で、ファッションモデルの山田美加子。沖縄アクターズスクールの「BOY'S AUDITION」に参加し合格した経歴を持っている。高校卒業後に上京、姉の所属事務所関係者にスカウトされ芸能界入りする。2006年7月、『MEN'S NON-NO』と『POPEYE』の2誌のモデルとして芸能界デビュー、同年10月に渋谷ガールズコレクションに出演する。2007年7月、テレビドラマ『山田太郎ものがたり』にレギュラー出演し、俳優デビューとなる。2009年4月、『クイズ!ヘキサゴンII』に初出演。すぐに「おバカタレント」として常連出演者となり、同年初め頃から常連出演者となった元木大介、辻希美と合わせて「新おバカ御三家」と紹介されるようになる。特に歌手志望ではなかったが、番組からCDデビューすることとなり、自身と森公平(新選組リアン)、松岡卓弥の3人組ユニット・サーターアンダギーを結成、2010年2月10日にシングル「ヤンバルクイナが飛んだ」でCDデビュー。同日、那覇市観光大使に就任する。サーターアンダギーでは、自身の作詞作曲によるソロ楽曲も発表している。2011年公開の『琉神マブヤーTHE MOVIE 七つのマブイ』で映画初主演を務める。2013年2月にサーターアンダギーが解散。その後はタレント・俳優業を中心に活動し、ライブ開催などの音楽活動も行っている。沖縄県立真和志高等学校卒業。父親は大工で、自身もタレントデビュー前は大工見習いとして働いていた経験がある。姉とはデビュー後に東京で同居していた時期があり、互いにテレビ番組などで同居中のエピソードを語ったことがある。2012年4月16日放送の『SMAP×SMAP』内「BISTRO SMAP」で初めて姉弟揃ってのテレビ出演となった。姉のほか9歳年下の弟がいる。弟は上京し都内の高校に入学したため同居していた。趣味は映画鑑賞・スポーツ全般・料理など。料理は弟が高校生の頃に毎日手作り弁当を持たせていた。母親の手料理が四品をサイクルに回っていたため、あまり食べ物を知らず、上京してアスパラガスをスーパーの飾りと勘違いしていたほど。琉球空手の経験がある。2009年7月25日放送の『FNS26時間テレビ』の中で「バッタ…バッタがいた」と発言し、周囲の共演者達が困惑する場面が放送された。翌2010年の『FNS26時間テレビ』において島田紳助から「その直後フジテレビに『あの子はテレビに出しちゃ駄目』という電話があった」と明かされた。ただし2011年4月に放送された深夜番組『ヘキサゴンII トークパレード』内の紳助および他出演者の会話で、スタジオに本当にバッタが紛れ込んでいたことが明かされている。『クイズ!ヘキサゴンII』のクイズ全体での成績は芳しくなかったが、地元である沖縄県に関連した問題での正答率は非常に高い。アナウンスクイズでは声が小さいことと、沖縄訛りが強いことで解答者が聞き取れずに点数が伸びないことがあった。また番組内ではよく「運動神経が抜群」と紹介されていた。『オールスター感謝祭』では『ヘキサゴンII』での成績が嘘のように正解を重ね、これまでに2度の優勝をするなど活躍している。2009年10月3日放送(2009秋)では、クイズの他に「ぬるぬる短距離走」で1位になったポイントが加算されるなどして、総合優勝となった。さらに「ヌルヌル相撲」では韓国の総合格闘家チェ・ホンマンを倒した。2013年9月28日放送(2013年秋)では、この回から導入されたチーム対抗戦で、『炎の体育会TV』チームとして出場。総合優勝した。仲の良い矢口真里から飲酒の誘いを受けた際、「1人だけで行くのは寂しい」と親友の中村昌也を連れて出掛けた。矢口と中村はこの場での出会いがきっかけで交際に発展し、結婚(後に離婚)に至った。山田は自身を「2人のキューピット」と自称している。2012年4月、前年8月に引退した島田紳助が「今でも心配な後輩は山田親太朗。まだ何年か父親みたいに付いていないといけなかったから」と発言した。山田は紳助の引退について「僕は特に良くして貰ってたので。ただただ悲しかったです。」と語り、サーターアンダギー解散の際も紳助に対し感謝の言葉を述べている。
出典:wikipedia
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