< 1984年 | 1984年のスポーツ馬齢は旧表記で統一する。中央競馬ではシンボリルドルフが、史上4頭目、戦後3頭目の牡馬クラシック三冠馬となった。無敗での三冠達成は史上初。同馬は三冠達成直後に出走したジャパンカップでは3着に敗れたが、有馬記念ではカツラギエース等を破って優勝。史上初の4歳三冠馬における有馬記念制覇となった。1984年の毎日王冠において中央のクラシック三冠馬のミスターシービーと地方・南関東クラシック三冠馬のサンオーイが出走し、史上初の中央と地方の三冠馬による同時出走となった。結果はミスターシービーは2着、サンオーイは3着だった。
ジャパンカップにおいては、ミスターシービーと前述のシンボリルドルフが出走。史上初の中央競馬の三冠馬による同時出走となった。ミスターシービーは10着、シンボリルドルフは3着となっている。中央競馬ではこの年からグレード制が導入され、従来の八大競走を含む15の重賞競走がGIに格付けされた。この際、短距離レースの競走体系における地位向上が図られた。具体的には春の短距離三冠(スプリンターズステークス、京王杯スプリングカップ、安田記念)が創設され、それまで伝統のマイル重賞でハンデキャップ戦であった安田記念を定量戦にしGIに格付け、秋に新設のマイルチャンピオンシップもGIに格付けされた。また東京競馬場開催の天皇賞(秋)の距離が3200mから2000mに短縮された。JRA初となる大型映像装置「ターフビジョン」が東京競馬場の内馬場に設置され9月8日から運用を開始。それまで双眼鏡を片手にという競馬観戦のスタイルを一変させる出来事であった。中央競馬の発展に多大な貢献のあった競走馬の功績を讃え、顕彰する目的で顕彰馬制度を導入。12月4日に第1回顕彰馬選考委員会を開催し、10頭を選出した。12月に施行された有馬記念ではカツラギエース、シンボリルドルフ、ミスターシービーの3頭が単枠指定された。GⅠ級レースにおける3頭の単枠指定は1978年の天皇賞(春)でグリーングラス、プレストウコウ、カシュウチカラの3頭が単枠指定されて以来6年ぶり2回目。この年に生まれた競走馬は1987年のクラシック世代となる。
出典:wikipedia
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