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自動小銃密造事件

自動小銃密造事件(じどうしょうじゅうみつぞうじけん)は、オウム真理教が起こした一連のオウム事件の一つ。オウム真理教はかねてから、信者に対していわゆるハルマゲドンの到来や外国の軍隊などによる毒ガス攻撃などの予言・説法で教化を行う一方、人類救済のためには、ジェノサイドによって日本を征服することが不可欠であるとして、密かに武装化を計画した。オウムは、毒ガスの開発を行う一方、ソ連軍が採用した自動小銃であるAK-74を日本で密造することを企てた。密造の参考用の見本のためにロシアでAK-74と実弾を購入し、これを分解するなどして設計の参考のためのビデオ録画、写真撮影を行うとともに、帰国の際に工具箱などに分散隠匿して日本に持ち込んだ。1993年6月ころから、教団幹部は、山梨県南巨摩郡富沢町の「富士清流精舎」と呼ばれる教団施設内において、ロシアで作成した図面や見本等を参考に、本格的な設計作業を進めるとともに、オカムラ鉄工乗っ取り事件で手に入れた大型工作機械などを用いて部品の製造方法の研究を行った。1994年4月下旬ころから、上九一色村の教団施設内に大型工作機械を多数設置して銃器製造工場の整備を行い、1995年1月1日、試作品の小銃1丁を完成させた。教団はこれをうけ、ついに小銃の大量生産、銃弾の大量製造開始を決断したが、同年3月、教団施設に対し警察の強制捜査が実施されるという情報を入手したため、小銃の製造を断念し、図面などの焼却、小銃部品などの教団施設の鉄柱の中への隠匿、群馬県の草木ダムへの廃棄など、組織的な証拠隠滅を図ろうとしたが失敗し、武器等製造法違反で警察に摘発された。最終的には1,000丁の自動小銃と100万発の銃弾を製造し、日本の主要都市で同時多発的にサリンを散布し、ハルマゲドンを惹起。その混乱に乗じて首都圏中枢部で二・二六事件のようなクーデターを起こし、オウム国家を建国する企てであった。銃や弾は警察に回収されたが、はたして本当に銃を全て回収し切れたかどうかは誰にも断定できない。銃器はその小型さと高い耐久性により、隠匿が簡単で、職務質問や家宅捜索で偶然に発見でもされない限りは摘発が限りなく困難なためである。そのため、「摘発を免れたオウムの自動小銃が残っている」「50丁のオウムの自動小銃を見た」などというデマや都市伝説がインターネットや週刊誌、一橋文哉などのジャーナリストの著書などで噂される原因になった。警察が教団施設や草木ダムの湖底から引き上げ押収した試作品の外観は、銃が通常分解(フィールド・ストリッピング)された状態を撮影した写真が時事通信社を通じて公開されている。機関部などの色は銀色。銃身、マガジン、ストックの色は黒色。警視庁科学捜査研究所による検証の結果、製造者の未熟、金属材料の不備、ノウハウ不足による避けられない強度不足のせいで寿命が極めて短く、撃てば寿命が尽きて故障が頻発するようになるという。簡素な作り故に故障が少なく確実な作動性が強みのカラシニコフシリーズでは本来ありえない事である。しかし、フルオート射撃ができないなどの欠点はあれど、実銃(オリジナルのカラシニコフシリーズ)と同等の十分な殺傷能力(初速850m/sec)があることや使用する銃弾の口径が実銃の5.45ミリより大きい5.6ミリであること、仮に強制捜査着手が遅れていた場合、日本の治安に大きな脅威を与えていたであろうことが確認された。

出典:wikipedia

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