中国民主党(ちゅうごくみんしゅとう)は、台湾(中華民国)の政党。中国の中国民主党とは関連が無い。1960年5月4日、雷震は雑誌『自由中国』において「我々にはなぜ、強力な反対党(野党)が必要なのか」と題した文章を発表し、野党を政治参画させ、中国国民党政権を牽制する必要性を説いた。同5月18日に検討会が開かれ、「地方選挙改進座談会」が組織され、野党の結成に備えた。雷震を招集委員とし、李萬居と高玉樹が共同でスポークスマンを務めた。7月から8月の間に4回の座談会が開催され、政党の名称を「中国民主党」とすることが決まり、また李萬君、郭雨新、高玉樹、楊金虎、許世賢、齊世英、夏濤聲等が新たに参加した。しかし、同9月4日,雷震、劉子英、馬之驌、傅正らが逮捕され、軍事法廷において「反乱勢力を加害、反乱を扇動した」との名目で10年の禁固刑が言い渡された。雷震は1970年に刑務所を出たが、その後も特務警察の監視を受けた。1949年に南京国民政府に従って台湾へ移転してきた中国民主社会党は、党内が分裂して内部抗争状態に陥っていたものの、台湾国民政府が戒厳令の一環として新規政党の結成を禁止(党禁)し続けたため、一つの政党としてまとまっていた。しかし1987年に戒厳令の解除と共に党禁も解除され、国会の全面改選が行なわれることになると、民社党内の沈朝江率いる一派が「中国民主社会党党務革新委員会」を立ち上げて「革新宣言」を出し、他の派閥との内部衝突が激化した。これを受け、1988年8月14日に沈朝江派は民社党中央から分党し、同年9月4日に新党設立大会を開催、1989年に中国民主党として内政部に政党登記を行った。その後、1992年の第2回立法委員選挙に立候補したものの、議席を確保することはできず、今日では政党としての活動実態が不明となっている。
出典:wikipedia
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