第40回宝塚記念(だい40かいたからづかきねん)は、1999年7月11日に阪神競馬場で施行された競馬競走である。前年の有馬記念に続きグラスワンダーが優勝し、グランプリ連覇を果たした。馬齢は一部を除いて旧表記を用いる。春のG1戦線を締めくくる「グランプリ」宝塚記念。しかし、この暑い夏の時期は休養に入る馬も多く、このレースがフルゲートになることはなく、このレースも例外ではなかった。しかし、前年くらいからは、有力馬に限れば、回避は少なくなってきていた(この時に回避した有力馬はセイウンスカイ、メジロブライトくらい)。理由としてあげられるのは、近代競馬のスピード化や、当時活躍馬が多かった外国産馬(いわゆるマル外)は天皇賞に出走できず、外国産馬の有力馬にとっての春の中長距離G1は宝塚記念ただ一つというのも影響していた。この競走で単勝1番人気に支持されたのは、この年の天皇賞(春)を制し、宝塚記念の後は凱旋門賞への出走を計画していた東京優駿(日本ダービー)優勝馬のスペシャルウィークであった。2番人気はスペシャルウィークと同年生まれで、怪物と称され3歳チャンピオン(JRA賞最優秀3歳牡馬部門受賞)に輝きながら翌年骨折し、復帰後は4歳ながら前年の有馬記念に勝った外国産馬のグラスワンダーであった。レースはこの2頭の争いと見られていた。ただし、前走の安田記念で敗れていたグラスワンダーはやや評を落とし、実質スペシャルウィークの壮行レースのような雰囲気も漂っていた。離れた3番人気は3歳馬のオースミブライト。なお、この年から早川大海が作曲した宝塚記念オリジナルのファンファーレが使われ始めた。レースはまずニシノダイオーがハナ(先頭)に立ち、その後ろにヒコーキグモ、ステイゴールド、キングヘイロー、そして人気のスペシャルウィークが続き、その真後ろにグラスワンダーが追走した。その後もレースはスローペースで進み、向こう正面でもスペシャルウィークが中盤に控え、これをマークする形で真後ろにグラスワンダーが続いた。このあたりで一度、スペシャルウィーク騎乗の武がグラスワンダーと騎乗していた的場均を探して左右を確認する仕草が見られ、このとき関西テレビの競馬中継の実況をしていた杉本清が、「相手はこれと決めた時の的場均は怖いぞ」と実況した。的場とグラスワンダーは、武とスペシャルウィークを目標と定め、一方のスペシャルウィークと武からしてみれば、的場とグラスワンダーに格好の目標とされてしまっていた。第3コーナー手前から早くもスペシャルウィークが進出し、グラスワンダーもそれを見るようにじわじわとポジションを押し上げていった。そしてスペシャルウィークが第3コーナーで早くも先頭に立ち、最後の直線入り口でスパートをかけるも、スペシャルウィークを目標と定めていたグラスワンダーが外から満を持して進出し、直線半ばであっという間にスペシャルウィークを抜き去り3馬身差をつけて快勝。敗れたスペシャルウィークも3着以下に7馬身もの大差をつけていたため、いかにこの2頭の能力が突出していたかを象徴する結果となった。スペシャルウィーク陣営は「バネが違いすぎる」とグラスワンダーに完敗を認め、予定されていた凱旋門賞挑戦は白紙撤回された。その後2頭は再び第44回有馬記念で激突している。
出典:wikipedia
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