クリス・セイビン("Chris Sabin")のリングネームで知られるジョシュ・ハーター("Josh Harter"、1982年2月4日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミシガン州デトロイト出身。地元ミシガン州にあるNWAグレートレイクス・プロレスリングスクールにてトレーニングを開始し、その後スクールの経営事情もあり、カナダ・オンタリオ州にあるスクールに移る。2000年に、BCWにてデビュー。その後はインディー団体を転戦。2003年にTNAに入り、初登場の試合でXディヴィジョン王座を獲得する衝撃のデビューを飾る。翌月にはジェリー・リンを破りWWAを奪取し、9月にはスーパーXカップを優勝するなど大活躍する。2004年に入っても、2度目のXディヴィジョン王者に再度輝き、チームUSAのメンバーとしてワールドXカップも優勝し、Xディヴィジョンの中心選手として暴れまわった。2006年8月にはZERO-ONE MAXに参戦するため来日。アレックス・シェリーとのタッグで、NWAインターナショナルライト級タッグ王座を保持する日高郁人と藤田ミノルに挑戦し奪取に成功する。10月にはセンシを下し3度目のXディビジョン王座を獲得した。2007年には4度目の戴冠に成功している。その後、アレックス・シェリーとのタッグチーム、モーターシティ・マシンガンズを結成。2007年6月には全日本プロレスのジュニア・ヘビー級リーグ戦に出場し、決勝で近藤修司を破り優勝を果たした。8月26日両国国技館大会では、中嶋勝彦の持つ世界ジュニアヘビー級王座に挑戦したが、惜しくも敗北した。TNAでもモーターシティ・マシンガンズとして人気を確立し、日本においてもレッスル・エイド・プロジェクトを皮切りにZERO1-MAXに度々参戦し知名度を高めた。2008年10月、プロレス・エキスポの大陸別タッグトーナメントに北米代表としてエントリー。準優勝に終わるが決勝戦(田中将斗&関本大介)も含め好試合を連発し更に評価を高めた。2009年1月4日には新日本プロレスの東京ドーム大会でアレックス・シェリーとのコンビでNO LIMITからIWGPジュニアタッグ王座を奪取している。TNAのリングで3度防衛するが7月に田口隆祐とプリンス・デヴィットのApollo 55に敗れタイトルを失っている。アメリカに戻るとモーターシティ・マシンガンズとしてタッグ戦線の前線に立ち、ジェネレーション・ミーやブリティッシュ・インベンション、メキシカン・アメリカン、ビアマネー・インク、チーム3Dといったタッグとタッグ王座を争い抗争を繰り広げ、2010年7月にTNA世界タッグ王座を獲得。12月に新日本プロレスに2日間だけ参戦し、No LimitとApollo 55と対戦をしている。2011年1月にビアマネー・インクに敗れ王座から陥落してしまう。4月の試合中にアナーキアの攻撃で膝を痛め、5月に右膝の手術をしている。手術後も試合に出場することがなく、7月に前十字靭帯と内側側副靭帯の断裂が発表され長期間の離脱を余儀なくされている。2012年3月に復帰、モーターシティ・マシンガンズとしての活動を再開するが、5月にアレックス・シェリーが退団をするとタッグは消滅。以降はシングルプレイヤーとして活動をするようになるが、6月に再び前十字靭帯の断裂とその治療のために長期離脱をしてしまう。2013年5月に復帰し、翌月にはスーサイドからディヴィジョン王座を獲得するがすぐにスーサイドに奪われている。7月にブリー・レイの持つTNA世界ヘビー級王座に挑戦、勝利してタイトルを初戴冠している。しかし、前王者とのリマッチに敗れ初防衛を果たせずタイトルを手放している。その後はベルベット・スカイと行動を共にするようになった。2014年5月にTNAから退団したことを発表。以降はインディー団体への参戦を続けている。
出典:wikipedia
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