「北の宿から」(きたのやどから)は、都はるみの楽曲で、66枚目のシングル。1975年(昭和50年)12月1日に発売。『第18回日本レコード大賞』(1976年)大賞受賞曲。140万枚を超える売り上げを記録し、都にとっては、「アンコ椿は恋の花」、「涙の連絡船」に続いて3曲目のミリオンセラーシングルとなった。『NHK紅白歌合戦』では本楽曲が発売された直後の1975年の『第26回NHK紅白歌合戦』と翌1976年の『第27回NHK紅白歌合戦』で歌唱されている。1976年の第27回では、本楽曲のヒットと数々の音楽賞を受賞したことを背景に、出場12回目にして初めて紅組トリおよび大トリを務めた。作詞家の阿久悠は初めて都はるみに詞を書くにあたって都の元気のいい個性を生かそうと考え、『野郎』というタイトルの詞を作ったがボツになり、急遽イメージを転換して書いたのが本作品だった。「別れた男性のセーターを編む」というのは別れにケリをつける若い女性の儀式であり、「死んでもいいですか」は自嘲気味のひとり芝居というようなイメージだったという。「演歌撲滅運動」なるキャンペーンを提唱した淡谷のり子が名指しで批判した楽曲でもある。しかし阿久自身が意図したのは失った恋に自らけじめをつけようとする性根の座ったしぶとい女だった。阿久は「僕は強い女を書いたつもりだったのに、怖い女あるいは悲しい女を描いたと受けとられた」と述懐している。なお当時、都が音楽番組で同曲を歌唱の際、最後はサビの部分をリフレインし、音程を上げて歌うパターンが多く披露されていた(但しレコード盤の音源は、サビ部を繰り返し転調した形式で録音されていない)。この曲の旋律はフレデリック・ショパンのピアノ協奏曲第1番の第1楽章のピアノ独奏部分の冒頭部との類似が指摘されている。しかし作曲した小林亜星自身はこの曲を元に作曲したわけではない、と述べている。ショパンは1849年に亡くなっており、仮りに1975年発表のこの作品がピアノ協奏曲を元に作曲されていたとしても著作権法には抵触しない。小林は後に懇意のヴァイオリニスト、天満敦子のためにこの曲のヴァイオリン編曲版を発表している。2009年発売の天満のアルバム『ロマンティックをもう一度』にはヴァイオリンによるこの曲の演奏が収録されている。オリコンシングルチャートの1976年の年間第3位、1977年の年間11位を獲得した。オリコンシングルチャート史上100曲目の(週間)1位作品でもある。初登場時は83位だったが、発売約1ヶ月後に『第26回NHK紅白歌合戦』で歌われ、約半年後にはトップ10にランクイン。また、年末になって音楽賞レースなどにより、44週目(1976年12月6日付)で1位を獲得した。この最長到達週記録は2003年に中島みゆきの「地上の星/ヘッドライト・テールライト」に破られるまで1位であった。その後12月20日付から1977年1月10日付まで3週連続1位を記録している。
出典:wikipedia
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