久留米工業専門学校 (くるめこうぎょうせんもんがっこう) は、1939年 (昭和14年) に創立された官立の旧制専門学校。創立時の名称は 「久留米高等工業学校」 (略称: 久留米高工)。1951年3月、九州大学第三分校 (久留米市内、旧陸軍歩兵第四十八連隊兵舎跡) が第一分校 (福岡市内、旧制福岡高跡地) に統合・廃止されると、第二分校でも統合運動が起こった。特に、1953年6月の水害で久留米市街との間の小森野橋が流失した事故以降は、統合を要望する意見が強まり、1955年4月を目処に第一分校に統合 (移転) する計画が具体化した。しかし、当初は跡地利用計画が示されていなかったため、同窓会や、旧久留米工専誘致時に多額の寄附を行った久留米市当局により移転反対運動が展開された。1955年10月、文部大臣から 「新制度の工業専科大学 (現・工業高等専門学校) 設置時は、久留米を優先する」 旨の言質を取り付けて、ようやく第二分校の移転が実現した。久留米高等工業学校創設時は、久留米市旭町にあった日本ゴム・ブリヂストンタイヤ青年学校校舎を仮校舎として使用した。翌 1940年3月に、久留米市小森野町の新校舎が完成し、順次移転した。小森野校地は新制九州大学第二分校に引き継がれたが、第二分校は 1955年10月に廃止され、1958年4月、跡地に久留米工業短期大学が設置された。1964年4月、小森野校地は後身の久留米工業高等専門学校の校地となり、現在に至っている。
出典:wikipedia
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