難波 弘之(なんば ひろゆき、1953年9月9日 - )は、日本の作曲家・編曲家、SF作家である。東京都豊島区巣鴨出身。学習院大学法学部法学科卒。東京音楽大学音楽学部教授(作曲指揮(映画放送音楽コース))。 父の渡辺弘はジャズ・アコーディオン奏者(サックス奏者の渡辺弘とは同姓同名の別人)で、SF作家広瀬正のバンド仲間だった。母は上野音楽学校(東京芸術大学の前身)出身の声楽家。祖父の家を継ぐために養子になったため、難波姓となった。両親が音楽家ということもあり、4歳よりピアノを始める。学習院大学在学中より、プロミュージシャンとして活動を始め、1975年に、鳴瀬喜博の誘いで「金子マリ&バックスバニー」に加入、キーボーディストとして活躍。その後、プログレッシブ・ロックバンド「SENSE OF WONDER」を結成。1979年にはファースト・ソロ・アルバム『センス・オブ・ワンダー』(キングレコード)をリリースした。このアルバムでは、ジャケットを手塚治虫、ライナーノーツを中島梓が綴っている。また、山下達郎のコンサートツアーなどにも参加するようになる。1984年6月16日、東京ヤクルトホールにて行われたイベントでシンセサイザー100台をMIDIで接続して同時に発音して演奏をした。スポンサーであったシーケンシャルサーキットより発売されたSIXTRACKの販促を兼ねたライブで、後にギネスブックに登録された。1988年に東京音楽大学講師となる。さらに、NHK教育テレビの音楽番組『ベストサウンド』の講師(アシスタントは中村あゆみ)、TBS系音楽番組『三宅裕司のいかすバンド天国』の審査員をするなど、メディアへの露出も増えていった。また、このころから日本ファルコムのゲームミュージック『ソーサリアン』『イースII』のアレンジを手がけるようになり、以後、数年にわたって日本ファルコムのゲームミュージックのアレンジを多数手がけることとなった。1990年より、山羊智詞&赤羽楽団に参加。各セッションのメインコンポーザーとして手腕を発揮する。1993年ごろは、是方博邦とともに、テレビ東京系クイズ番組『タモリの音楽は世界だ!』にレギュラー出演もしていた。また、是方博邦、東原力哉、鳴瀬喜博らとともにバンド「野獣王国」を結成・活動をするかたわら、1994年から1998年まで桐朋学園芸術短期大学の講師も務めていた。また、1997年に五十嵐久勝(元ノヴェラ)とユニット「NUOVO IMMIGRATO」を結成、現在までに4枚のアルバムを発表。山下達郎、是方博邦らと親交が深い。他にも世良公則やRED WARRIORSなど、これまでサポートしてきたミュージシャンは多数。学習院中等科在学中からSFファン活動を開始。『宇宙塵』に入会する他、自らファン・グループ「全日本青少年SFターミナル」を主宰。また、1968年に中学三年生の15歳にしてSF短編『青銅色の死』で安倍能成文学賞(初等科から大学までの、学習院在学中のすべての学生を対象とした賞)を受賞した。また、学習院の2年後輩の後のSF評論家巽孝之と交遊することとなり、巽が主宰する同人誌『科学魔界』にSF小説を発表。のちアルバム『センス・オブ・ワンダー』発売後に、短篇集『飛行船の上のシンセサイザー弾き』『鍵盤帝国の劇襲』(ハヤカワ文庫)、『ときめき ROCKIN’WAY』(コバルト文庫)など、音楽が重要モチーフとなっている作品を出版した。また、SF作家の小説作品のイメージアルバムも多数手がけている。日本SF作家クラブ会員として、日本SF大賞の審査員も務めた。2010年から、SFファングループ「全日本中高年SFターミナル」を主催。(シングル)
出典:wikipedia
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