夕暮(ゆうぐれ/ゆふぐれ)は、日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦初春型の6番艦である。「夕暮」の艦名は、夕暮れに由来し、既に神風型駆逐艦 (初代)「夕暮」で用いられていた。初春型駆逐艦「夕暮」は、日本海軍の艦船としては2代目となる。戦後、海上自衛隊のありあけ型護衛艦「ゆうぐれ」(旧フレッチャー級駆逐艦リチャード・P・リアリー)が就役した。1932年(昭和7年)12月10日、初春型3隻(初霜、有明、夕暮)、千鳥型水雷艇(友鶴、初雁)、「猿島」等の各艦に、それぞれ艦名が与えられた。「夕暮」は1933年(昭和8年)4月9日に舞鶴工作部で起工。1934年(昭和9年)5月6日に進水。建造初期の段階で初春型1番艦「初春」の復元性能不良が判明し、設計を改めたため、本艦と姉妹艦「有明」は有明型駆逐艦(改初春型)とも呼ばれる。1933年12月15日、「有明、夕暮」は初春型よりのぞかれ『有明型駆逐艦』が新設、「有明、夕暮、白露、時雨、村雨、夕立、春雨」までが有明型に類別された。しかし「白露」以後の有明型は初春型から大幅に設計を改めており、そこで1934年11月19日をもって「有明、夕暮」は初春型に戻され、あらたに白露型駆逐艦が新設された。1934年(昭和9年)11月1日、樅型駆逐艦「葦」駆逐艦長安武史郎少佐は夕暮艤装員長に任命される。1935年(昭和10年)1月25日、安武は夕暮初代駆逐艦長となる。一等駆逐艦初春型「夕暮」は1935年(昭和10年)3月30日に竣工した。4月1日附で姉妹艦「有明」と共に第9駆逐隊を編制、初代駆逐隊司令は伊崎俊二中佐となる。11月15日、夕暮駆逐艦長は安武から神風型駆逐艦8番艦「朝凪」駆逐艦長柳川正男少佐に交代(後日、安武は第30駆逐隊司令として駆逐艦「弥生」沈没時に戦死《ラビの戦い》)。翌年1936年(昭和11年)5月、烹炊室煙突からの排煙が艦橋に逆流して操艦や戦闘に支障をきたす問題に対処すべく、烹炊所の煙突を一番煙突まで延長する事に決定する。これを受けて初春型4隻の第21駆逐隊(初春、子日、若葉、初霜)も同様の改造を実施している。また、白露型2隻(白露、時雨)も竣工と共に第9駆逐隊に編入される。4隻はいずれも横須賀鎮守府に在籍した。1937年(昭和12年)12月1日、伊崎(第9駆逐隊司令)は第7駆逐隊司令に転任。後任の9駆司令は第28駆逐隊司令森友一大佐となる。同日附で、柳川(夕暮駆逐艦長)も吹雪型駆逐艦「雷」駆逐艦長へ転任。後任の夕暮艦長は、神風型2番艦「朝風」駆逐艦長の一門善記少佐となる。1938年(昭和13年)1月12日、夕暮駆逐艦長は一門から初春型3番艦「若葉」駆逐艦長沢村成二少佐に交代(一門は6月25日より吹雪型「白雪」および「初雪」駆逐艦長兼務)。12月15日、佐世保鎮守府へ転籍になると同時に、第9駆逐隊は第27駆逐隊と改名された。森(9駆司令)は敷設艦「厳島」艦長へ転任。第27駆逐隊初代司令は渋谷紫郎大佐となる。同日附で沢村(夕暮艦長)は佐世保海兵団教官へ転任。睦月型駆逐艦9番艦「菊月」水雷長の市原千代次少佐が「有明」および「夕暮」駆逐艦長を兼務することになった。1939年(昭和14年)2月20日、市原は夕暮・有明駆逐艦長の職務を解かれた。同日附で、樅型駆逐艦「蓬」及び「菱」駆逐艦長萩尾力少佐は夕暮駆逐艦長に任命された。3月10日、萩尾(夕暮艦長)は有明駆逐艦長も兼務することになる。3月20日、萩尾は夕暮および有明駆逐艦長の兼務を解かれて夕暮駆逐艦長に専念することになり、白露型駆逐艦2番艦「時雨」駆逐艦長の緒方友兄少佐が有明駆逐艦長に任命された。11月15日、第27駆逐隊司令は松原博大佐に交代。同日附で萩尾(夕暮艦長)は神風型6番艦「追風」駆逐艦長へ転任(後日、陽炎型駆逐艦18番艦「舞風」駆逐艦長として、トラック島空襲で同艦沈没時に戦死)。後任の夕暮駆逐艦長は、峯風型6番艦「矢風」駆逐艦長藤田勇少佐となる。1940年(昭和15年)10月15日、藤田(夕暮駆逐艦長)は朝潮型駆逐艦1番艦「朝潮」駆逐艦長へ転任(後日、夕雲型駆逐艦2番艦「巻雲」駆逐艦長)。後任の夕暮駆逐艦長は鴻型水雷艇「鳩」水雷艇長の加茂喜代志少佐となる。10月19日、松原(27駆司令)は第24駆逐隊(海風、江風、山風、涼風)司令へ転任。後任の第27駆逐隊司令は吉村真武大佐となる。太平洋戦争開戦時、第1艦隊・第一水雷戦隊(司令官大森仙太郎少将:旗艦「阿武隈」)・第27駆逐隊(時雨、白露、夕暮、有明)に属し、柱島泊地に所在していた。第一水雷戦隊には27駆のほかに第6駆逐隊(雷、電、響、暁)・第21駆逐隊(初春、子日、初霜、若葉)・第17駆逐隊(谷風、浦風、浜風、磯風)が所属している。だが「阿武隈」と第17駆逐隊は南雲機動部隊(司令長官南雲忠一中将:旗艦「赤城」)に所属して真珠湾攻撃に参加しており、第27駆逐隊とは別行動であった。12月上旬、第27駆逐隊は山本五十六連合艦隊司令長官が指揮する主力部隊(長門、陸奥、伊勢、日向、扶桑、山城、鳳翔、瑞鳳)等を護衛して小笠原近海を航海した。1942年(昭和17年)1月下旬から、第27駆逐隊第2小隊(有明、夕暮)は南雲機動部隊の一艦として行動する。アンボン攻略作戦、ポートダーウィン攻撃に参加。2月10日、第4駆逐隊第2小隊(萩風、舞風)と共に機動部隊警戒隊に編入された。2月24日、機動部隊補給部隊の警戒艦としてスターリング湾を出発する。27日に合流後、第15駆逐隊(黒潮、親潮)と機動部隊護衛任務を交代する。警戒隊は、旗艦「阿武隈」・1番隊1小隊(谷風、浦風)2小隊(浜風、磯風)、2番隊1小隊(不知火、霞)2小隊(有明、夕暮)・3番隊(萩風、舞風)という編制で機動部隊を護衛した。インド洋機動作戦中の3月1日、護衛駆逐艦(磯風、不知火、霞、有明、夕暮)はオランダ商船「モッドヨカード」号を撃沈する。この時、第八戦隊の重巡「筑摩」が旗艦「赤城」の後方から砲撃に加わり、駆逐隊と共同で「モッドヨカード」を撃沈している。3月6日、「有明、夕暮」は機動部隊本隊と分離、燃料補給部隊を護衛してスターリング湾へむかった。3月11日、「有明、夕暮、親潮、黒潮」は機動部隊警戒隊(一水戦司令官)の指揮下を離れた。「有明、夕暮」は重巡洋艦「高雄、摩耶」と共にスターリング湾を出港。モルッカ海峡を通過して南太平洋に出たが、燃料の観点から「有明、夕暮」は「高雄、摩耶」と分離する。その後、横須賀へ向かった。4月18日附で、第27駆逐隊(時雨、白露、有明、夕暮)は第五航空戦隊(司令官原忠一少将:瑞鶴、翔鶴)の指揮下に入った。また五航戦もポートモレスビー攻略準備のため、空母「祥鳳」、第五戦隊、第7駆逐隊と共に南洋部隊に編入された。翌日、ドーリットル空襲をおこなった米軍機動部隊(ホーネット、エンタープライズ)補足のため台湾の馬公より出撃するが、すぐにトラック泊地への回航を命じられた。5月上旬、第27駆逐隊は珊瑚海海戦を戦った。MO機動部隊(総指揮官高木武雄中将)は、本隊:第五戦隊(司令官高木武雄少将、妙高、羽黒)・第7駆逐隊第1小隊(潮、曙)、航空部隊(指揮官原忠一少将):第五航空戦隊(司令官原忠一少将、瑞鶴、翔鶴)・第27駆逐隊、補給部隊:(輸送艦東邦丸)及び第六戦隊第2小隊(衣笠、古鷹 5月7日MO機動部隊編入)という戦力で編制されていた。5月8日、27駆「有明」はインディスペンサブル礁に不時着した翔鶴偵察機(九七式艦上攻撃機2機)を救助するためMO機動部隊から分離しており、「翔鶴」が被弾した戦闘には参加していない。5月7日の戦闘で第六戦隊(青葉、加古、古鷹、衣笠)と「漣」に護衛されていた空母「祥鳳」が沈没。5月8日の戦闘では空母「翔鶴」が大破。「夕暮、漣」及び第15駆逐隊(黒潮、親潮、早潮)は「翔鶴」を護衛して内地へ向かった。5月17日、第27駆逐隊は南洋部隊・MO機動部隊の編制から外れ、同時に第五戦隊の内地回航護衛を下令された。27駆(時雨、白露、有明)は第五戦隊を護衛して日本へ帰投した。6月上旬のミッドウェー海戦では空母「鳳翔」の護衛として参加。6月25日、第27駆逐隊司令は瀬戸山安秀大佐に交代(吉村は7月19日より軽巡洋艦「龍田」艦長)。7月14日、第27駆逐隊は第二艦隊(司令長官近藤信竹中将)・第四水雷戦隊(旗艦「由良」)に編入された。当時の四水戦(司令官高間完少将)には、27駆のほかに第2駆逐隊(村雨、五月雨、夕立、春雨)・第9駆逐隊(朝雲、峯雲、夏雲)が所属していた。8月20日、第27駆逐隊第2小隊(有明、夕暮)はトラック泊地を出撃、「有明」は22日21時よりナウル島を砲撃し、「夕暮」は22日20時30分よりオーシャン島を砲撃した。ヤルート環礁で補給したのち「夕暮」は25日再度出動し、海軍陸戦隊46名を投入してオーシャン島を占領した。27日、増援部隊を乗せた27駆僚艦「白露」が到着。「夕暮、白露」は一旦ヤルートへ戻った。9月2日、第27駆逐隊(時雨、白露、夕暮)は輸送船2隻を護衛してギルバート諸島・アパママ島へ向かい、同島を無血占領した。9月1日からガダルカナル島の戦いに投入される。2日(陽炎、夕暮、敷設艦「津軽」等)。5日(吹雪、白雪、天霧、陽炎、夕暮)、8日(軽巡川内、吹雪、白雪、陽炎、夕暮、第19駆逐隊第1小隊)と輸送を実施。10月中の「夕暮」は水上機母艦で編成された第十一航空戦隊に臨時編入されていた。サンタイサベル島レカタへの輸送任務を実施したほかは、ショートランド泊地にて待機している。11月1-2日、第四水雷戦隊(旗艦「朝雲」、第2駆逐隊《村雨、夕立、春雨》、第27駆逐隊《時雨、白露、有明、夕暮》)、第11駆逐隊「白雪」、第6駆逐隊(雷、暁)、軽巡「天龍」でガ島へ向かうも波浪のため物資を全て揚陸できず、艦載艇を一部放棄した。「天龍、白雪、雷、暁」を除き第8駆逐隊(朝潮、満潮)を加えた11月4-5日のガ島輸送作戦中、第27駆逐隊「有明」は機関故障を起こし最大発揮速力27ノットに低下、「時雨、白露、夕暮」各艦に護衛されてショートランド泊地へ戻った。修理を命じられた「有明」はトラック泊地に回航され、27駆は一時的に3隻となる。11月8日、駆逐艦9隻(朝雲、村雨、夕立、時雨、白露、夕暮、朝潮、満潮、望月)はガダルカナル島揚陸に成功。泊地直前で米軍魚雷艇に襲撃され「望月」に魚雷1本が命中(不発)、帰路にも「夕立」が米潜水艦に雷撃されるが、被害は出なかった。そのころ10月26日の南太平洋海戦で大勝利を収めたと判断した連合艦隊は、ガダルカナル島へ大規模な増援部隊を送り込むと同時に、最大の障害となった同島ヘンダーソン飛行場に対し、再び戦艦による艦砲射撃を企図する。第十一戦隊(司令官阿部弘毅中将:戦艦比叡、霧島)を基幹とする挺身攻撃隊が編成され、第四水雷戦隊もその中に組み込まれた。第27駆逐隊(時雨、白露、夕暮)の任務は、第十一戦隊が飛行場砲撃を行う際のガダルカナル島〜ラッセル諸島間の警戒であった。10日、第八艦隊はショートランド泊地の重巡3隻(鈴谷、摩耶、衣笠)に対し、弾薬を「白露、夕暮」に供出するよう命じた。11月11日、旗艦「朝雲」以下第四水雷戦隊はショートランド泊地を出撃し、洋上で挺身艦隊主力と合同、ガダルカナル島へ向かった。しかし日本海軍の動向を察知していた米海軍は事前に艦隊を配置しており、日米両軍の間で第三次ソロモン海戦が生起した。第27駆逐隊(時雨、白露、夕暮)は大混戦となった第一夜戦には参加せず避退中の戦艦「霧島」に合流して同行していたが、第十戦隊司令官(長良)より命令があり、「比叡」救援のため反転した。先に到着していた第16駆逐隊「雪風」、第61駆逐隊「照月」と共に、第一夜戦での損傷により行動不能となった挺身艦隊旗艦/戦艦「比叡」を護衛する。日中、護衛艦艇は米軍機の攻撃により損傷を受けたが、深刻な損害を受けた艦はなかった。それでも「夕暮」は後部電信号機室で火災が発生し、通信不能となっている。その後、「比叡」の自沈処分が決定。挺身攻撃隊指揮官/第十一戦隊司令官阿部中将(雪風座乗)より第27駆逐隊に「比叡」雷撃処分の命令が下った。阿部司令官は27駆各艦に魚雷2本を準備するよう通達。27駆司令艦「時雨」に「比叡」処分が下令された直後、『処分待て』の通達がある。「雪風、照月、時雨、白露、夕暮」は「比叡」を放棄して避退、その後同海域に戻ると「比叡」の艦影はなく、沈没したものと推定された。18日、第27駆逐隊各艦はトラックに帰投し応急修理を受けた。各艦はしばらくトラック泊地にて待機した。11月30日、「有明、夕暮」は再びラバウルへ進出した。外南洋部隊に編入後、輸送作戦に従事する。12月3日、第二水雷戦隊司令官田中頼三少将の指揮下、第二次「ガ」島輸送作戦(親潮、黒潮、陽炎、巻波、長波、江風、涼風、嵐、野分、夕暮)が実施されるが、駆逐艦「巻波」が空襲により損傷した。この輸送作戦に参加した「夕暮」以外の駆逐艦は陽炎型駆逐艦・夕雲型駆逐艦・白露型駆逐艦で構成されており、二水戦司令官田中頼三少将から「夕暮と有明は他艦に比べて速度が出ないので苦労が増えた」と評価されている。12月9日、「天霧、夕暮」によりサンタイサベル島レカタ輸送を実施。13日にショートランド泊地を出発してレカタ輸送に従事、14日帰投。15日にもレカタ輸送を実施12月25日、駆逐艦「卯月」は、米潜水艦から雷撃されて損傷した輸送船「南海丸」護衛中、同船と衝突して航行不能となる。ラバウルから救援のため出動した「有明」は「卯月」を曳航していたが、午前8時すぎB-24リベレーター爆撃機少数機に攻撃され至近弾6発、戦死者20名重軽傷40名(60名とも)という大きな人的被害を受け、戦線離脱を余儀なくされた。「卯月」は「浦風」に曳航されてラバウルへ避退した。12月27日、駆逐艦6隻(谷風、浦風、荒潮、磯波、電、夕暮)でニュージョージア諸島バングヌ島ウイックハムへ兵員物資輸送を行う。任務後の28日、「夕暮」はショートランド泊地からラバウルへむかった。12月30日、「有明、夕暮」を外南洋部隊から除かれる旨の下令があった。応急修理後の1943年(昭和18年)1月1日、「夕暮」はラバウルを出発、輸送船4隻と共にトラック泊地へむかっていた。2日に「天城山丸」が被雷、その警戒にあたった。1月5日トラックへ到着、翌日には応急修理を終えた「有明」も到着している。1月7日、駆逐艦(有明、夕暮、磯波、電、天霧、朝潮)は戦艦「陸奥」、空母「瑞鶴」、重巡「鈴谷」を護衛してトラックを出発、内地へ向かった。12日呉へ帰投後(陸奥、朝潮、電、雷は横須賀帰投)、佐世保へ回航されたのち、同地で修理を行った。1月30日に「夕暮」の修理は完成、駆逐艦「磯波」と共に丙号輸送部隊(青島〜パラオ〜ウェワク)に編入された。陸軍第41師団主力を青島から東部ニューギニア・ウェワクへ輸送する作戦である。2月3日に佐世保を出撃。「磯波」は第三輸送隊、「夕暮」は第四輸送隊を護衛することになり、2月5日に合流した。さらに2月14日附で第一輸送隊(軽巡2隻《北上、大井 》、讃岐丸、相良丸)に駆逐艦「夕雲、風雲」、第二輸送隊(清澄丸、護国丸、愛国丸)に駆逐艦「朝雲、五月雨」、第三輸送隊(聖川丸、靖国丸、浮島丸、磯波)に駆逐艦「秋雲、長月」、第四輸送隊(壽山丸、新京丸、新玉丸、夕暮)に駆逐艦「皐月、文月」が、各輸送隊の護衛艦に加えられる。第四次輸送隊は2月19日に青島を出発、2月21日パラオ着22日発、26日ウェワクに到着して任務を終了した。本作戦における輸送船の被害はなかった。27日附で「夕暮、磯波」は丙号輸送部隊から除かれる。「夕暮」はウェワクで船団上空護衛をおこなった空母「瑞鳳」の航空隊基地員を収容してトラック泊地へ向かった。3月の「夕暮」は大型艦の護衛任務に従事してトラック泊地と内地を往復した。3月2日、トラック帰着。3月8日、駆逐艦「萩風」と共に空母「冲鷹」を護衛してトラックを出発。航海中の3月9日、第27駆逐隊司令は原為一中佐に交代した(瀬戸山は5月7日より給油艦「鳴戸」特務艦長)。横須賀到着後の「夕暮、萩風」は戦艦「金剛」の佐世保回航を護衛した。3月21日附で第27駆逐隊の編制がかわり、1番「時雨」-2番「有明」-3番「夕暮」-4番「白露」となる。22日、「夕暮、陽炎」と秋月型2隻(初月、涼月)は第二航空戦隊(隼鷹、飛鷹)、第八戦隊(利根、筑摩)を護衛して内地を出発、27日にトラックへ到着した。4月の「夕暮」はトラック泊地を拠点に船団護衛任務に従事した。4月8日、米潜水艦「タニー」は駆逐艦「夕霧」に護衛された輸送船「厚生丸」を雷撃、「厚生丸」を航行不能とした。「長良、夕暮」はトラック泊地を出動、「夕霧」および「夕月」と合流し、軽巡「長良」は「厚生丸」の曳航を開始した。だが浸水により「厚生丸」は4月9日に沈没した。4月13日、「夕暮」は駆逐艦「涼月」と船団護衛任務に出動。4月14日夜、スコールの中で輸送船「武庫丸」と衝突して損傷し、トラック帰投後は工作艦「明石」の世話になった。翌日には任務に復帰した。5月、「夕暮」は内地に帰投する。戦艦「大和」、空母2隻(雲鷹、冲鷹)、第五戦隊(妙高、羽黒)、駆逐艦4隻(長波、五月雨、潮、夕暮)は5月8日トラック泊地を出発。「時雨、初月」は途中まで「大和」隊を警戒したのちトラックへ戻った。5月12日、「雲鷹、冲鷹、潮、長波、夕暮、五月雨」は、「大和、妙高、羽黒」及び応援艦(雪風、浜風、嵐)と分離し、横須賀へ向かった。5月13日に横須賀帰着後、修理に従事する。出渠後の「夕暮」は横須賀に戻っていた「時雨、有明」と合流、第一航空戦隊の空母2隻(翔鶴、瑞鶴)、重巡洋艦「最上」、軽巡洋艦「大淀」の横須賀〜西日本回航を護衛する。6月2日、27駆(時雨、有明、夕暮)は鹿児島にて第一航空戦隊基地物件を揚陸すると、佐世保に向かった。横須賀到着後、「時雨」は機関部の故障により第二航空戦隊・空母「飛鷹」の護衛艦から外れ、代艦として「有明、夕暮」が選ばれた。6月10日14時、3隻(飛鷹、有明、夕暮)は横須賀を出港したが、同日18時53分(出港から約5時間後)、暗号解読により待ち伏せていた米潜水艦の雷撃を受けて「飛鷹」は大破、軽巡「五十鈴」に曳航され12日に横須賀へ戻った。なお午後7時37分に「飛鷹」は「夕暮」(距離3km付近航行中)を敵潜水艦と錯覚して誤射、「夕暮」は若干の損傷を受けた。三番砲塔附近に被弾し、爆雷運搬中の夕暮乗組員2名戦死、5名が負傷したという。また「飛鷹」を雷撃した米潜水艦「トリガー」は「有明、夕暮」の爆雷攻撃により損傷し、真珠湾へ帰投している。6月16日、「有明、夕暮」は修理を終えた「時雨」と合流、第三戦隊(金剛、榛名)、第七戦隊(熊野、鈴谷)、空母3隻(龍鳳、大鷹、冲鷹)、軽巡「五十鈴」、駆逐艦部隊(第7駆逐隊《潮、曙、漣》、第16駆逐隊《雪風》、第17駆逐隊《浜風、谷風》、第24駆逐隊《涼風》、夕雲型駆逐艦《清波》、秋月型駆逐艦《新月》)と共に横須賀を出港、21日トラック泊地に到着した。トラック泊地到着後、「夕暮」は同地で待機した。29日、工作艦「明石」の協力を得て、機銃の増設とジャイロコンパスの修正を完了する。7月2日、駆逐艦「夕暮、清波」は油槽船「玄洋丸」を護衛し、空母「龍鳳」基地要員を便乗の上でトラックを出発、7月5日ラバウルへ到着する。同日夜、第三水雷戦隊はクラ湾夜戦に参加、旗艦としていた秋月型駆逐艦5番艦「新月」沈没と共に三水戦司令官秋山輝男少将および三水戦司令部は全滅する(他に駆逐艦「長月」座礁放棄)。そのため重巡「鳥海」艦長有賀幸作大佐が臨時に増援部隊(第三水雷戦隊)指揮官となる。「鳥海」を増援部隊に割いてしまったので、外南洋部隊指揮官鮫島具重第八艦隊司令長官は、臨時旗艦を陽炎型駆逐艦「雪風」に指定した。後任の第三水雷戦隊司令官伊集院松治少将(前職、戦艦「金剛」艦長)は7月7日附で任命され、7月10日に旗艦「川内」に着任したばかりであった。そこで連合艦隊は第二水雷戦隊(司令官伊崎俊二少将)に対し、南東方面部隊への編入と、コロンバンガラ島への輸送任務を命じた。7月11日、ラバウルに「川内、三日月、夕凪、鳥海、雪風、浜風、谷風、夕暮」が到着し、戦力は整いつつあった。警戒隊(指揮官/二水戦司令官)軽巡1隻・駆逐艦6隻(神通、清波、雪風、浜風、夕暮、三日月)は7月12日3時30分ラバウルを出撃、輸送隊(指揮官/22駆逐隊司令)駆逐艦4隻(皐月、水無月、夕凪、松風)は18時40分にブインを出撃した。7月12-13日夜、コロンバンガラ島沖海戦が生起。輸送作戦は成功、警戒隊(先頭より三日月、神通、雪風、浜風、清波、夕暮)も駆逐艦「グウィン」を撃沈し、巡洋艦3隻(ホノルル、セントルイス、リアンダー)、駆逐艦2隻(ブキャナン、ウッドワース)を大破させた。だが旗艦「神通」を撃沈され、伊崎少将以下第二水雷戦隊司令部も全滅した。そこで7月11日にラバウルに進出していた第七戦隊(司令官西村祥治少将:熊野、鈴谷)を主力として、西村少将を指揮官とする夜戦部隊が編成される。7月15日附の編成は、主隊は七戦隊(熊野、鈴谷)、水雷戦隊(指揮官/伊集院三水戦司令官)軽巡1隻駆逐艦6隻(川内、皐月、水無月、雪風、浜風、清波、夕暮)、輸送隊(指揮官/第30駆逐隊司令)駆逐艦3隻(三日月、夕凪、松風)という戦力である。7月16日、ブインにて「水無月、皐月」に燃料補給をしていた駆逐艦「初雪、望月」は米軍機の空襲を受け、「初雪」沈没、「皐月、水無月、望月(18日空襲)」が小破した。7月18日22時、西村少将率いる夜戦部隊の重巡洋艦3隻(熊野、鈴谷、鳥海)、軽巡「川内」、駆逐艦4隻(雪風、浜風、清波、夕暮)はラバウルを出撃、19日17時20分には輸送隊(三日月、水無月、松風)と合同、21時に分離した。だが西村部隊の行動はPBYカタリナ飛行艇によって捉えられていた。このカタリナは「ブラック・キャット」と呼ばれる夜間哨戒機であり、レーダーで西村部隊を補足するとガダルカナル島へ通報する。そのころ輸送隊は揚陸に成功したものの西村部隊は敵艦艇を認めず、クラ湾北方で23時に反転する。雪風水雷長は、クラ湾が狭いため一斉回頭した結果、重巡部隊右舷警戒艦(雪風、浜風)と左舷警戒艦(清波、夕暮)が入れ替わったと回想している。当時の月齢は15.5であった。7月20日、日付変更後の米軍機の空襲により、巡洋艦部隊の右舷先頭にいた「夕暮」に魚雷が命中。艦体切断により轟沈した。尚、伊藤正徳や豊田穣ら、「回頭によって夕暮と雪風の位置が入れ替わった」とする著書において、空襲時夕暮は巡洋艦部隊の右舷先頭(回頭前の雪風の配置)にあったとされるが、戦闘詳報によれば空襲時の右舷先頭は清波で、夕暮はその後方で魚雷を受けており、位置が入れ替わったとする説と異なっている。駆逐艦「清波」が救援に向かい、夕暮生存者を救助したと報告。だが2時30分以降連絡が途絶え、こちらも総員戦死と認定された。旗艦「熊野」にも魚雷1本が命中して損傷。輸送隊の「水無月、松風」も空襲により小破した。米軍によれば、「夕暮」を撃沈したのはガダルカナル島から飛来したTBFアベンジャー雷撃機であり、沈没地点。「清波」はの地点でB-25ミッチェル爆撃機に撃沈された。「夕暮、清波」のほぼ全乗組員約470名が戦死した。8月5日に救助された「清波」乗組員の西川水兵長によれば、「清波」は夕暮生存者約20名を救助したのち、二度の夜間爆撃を受けて轟沈。当時60名ほどが漂流していたが、孤島に漂着した西川以外は行方不明になったという。「夕暮」沈没の前日、第四水雷戦隊は解隊された。7月20日をもって四水戦司令官高間完少将・司令部並びに旗艦「長良」以下所属兵力は第二水雷戦隊に転用され(高間は7月20日附で第二水雷戦隊司令官)、第27駆逐隊(時雨、有明、《夕暮》、白露)も同水雷戦隊所属となる。当時、第27駆逐隊4番艦「白露」は内地で修理中であり、「夕暮」の喪失により最前線の27駆は「時雨、有明」のみとなった。7月23日、第27駆逐隊第1小隊1番艦「時雨」・2番艦「有明」はトラック泊地を出港、ラバウルに向う。1番艦「時雨」は第4駆逐隊(萩風、嵐)と輸送任務についた。2番艦「有明」は、第30駆逐隊司令艦「三日月」指揮下に入り、ニューブリテン島ツルブへの輸送作戦に従事する。だが27日深夜にグロスター岬で2隻とも座礁、翌日の空襲で「有明、三日月」は撃沈された。開戦以来太平洋を奔走してきた第27駆逐隊は一週間のうちに初春型2隻(夕暮、有明)を喪失して白露型2隻(時雨、白露)となり、のちに白露型2隻(五月雨、春雨)を編入して定数4隻を回復した。駆逐艦「有明」と「夕暮」は10月15日附で初春型駆逐艦、第27駆逐隊、帝国駆逐艦籍、それぞれから除籍された。
出典:wikipedia
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