1988年-1989年のJSL(第24回日本サッカーリーグ1部および第17回日本サッカーリーグ2部)は、1部が1988年9月23日から1989年5月1日まで、2部が1988年9月15日から1989年4月29日まで行われた。優勝は、1部が日産自動車サッカー部で2部が東芝サッカー部であった。このシーズンから勝ち点制度が変更され、勝利は3、引き分けは1になった(従来は勝利に2、引き分けに1)。引き分けの価値を低くし、積極的な試合を増やすという狙いがあった。日産が開幕から11連勝して前期終了時点で独走状態に入った。しかしヤマハとの後期開幕戦を1-2で落として連勝が終わり、その後も鳴かず飛ばずで後期は3勝4分4敗という成績だった。一時期は2位以下のチームに僅差にまで追い上げられたが、4月26日、三ツ沢球技場での本田技研戦に1-0で勝利して初優勝を決めた。日産は前年に加入した元ブラジル代表キャプテンのオスカーを中心とした守備が固く、スポーツニッポン社が制定してこの年から始まった最優秀選手賞には柱谷哲二が選ばれた。1989年2月26日に国立競技場で行われた読売クラブ対三菱重工、日産対ヤマハのダブルヘッダーによる後期開幕戦は、リーグ活性化のために入場料を無料とし、事前に入念な宣伝を行った。その結果、試合当日は雨が降り寒い気候だったにもかかわらず、4万1000人を集め、21年ぶりにリーグ記録を更新した(従来の記録は1968年の三菱重工対ヤンマーの4万人)。このシーズンから日本鋼管サッカー部が会社の名称変更によりNKKサッカー部に名称を変更した。今シーズンより2部も1部同様のシーズン表記に改められた。このシーズンから川崎製鉄水島サッカー部が川崎製鉄サッカー部に名称を変更した。1位-8位は上位リーグ、9位-16位は下位リーグ・順位決定戦の結果による。下位リーグの成績は前期からの累計得点ランキング、アシストランキングは前後期(東西・上位下位)通算であったが、個人タイトルとしては表彰されなかった。
出典:wikipedia
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