ジェシー・オロスコ(Jesse Russell Orosco , 1957年4月21日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した投手。左投右打。アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタバーバラ出身。4月5日のメジャー初登板から、9月27日の最後の登板まで、通算24シーズンにわたって登板。1970年代、1980年代、1990年代、2000年代の「4ディケード」にわたってプレイし、メジャー史上最多(終了時点)の1,252試合に登板した救援投手。にセントルイス・カージナルスからドラフト7巡目で指名されたが、入団せず、翌にミネソタ・ツインズから2巡目で指名され入団。1979年2月7日にトレードでニューヨーク・メッツへ移籍し、同年4月5日にメジャーデビュー。1979年とに2試合ずつ、合計4試合に先発したのを除けば残りはすべてリリーフでの登板であった。には62試合に登板して13勝7敗17セーブ、防御率1.47の好成績をあげ、オールスター初出場を果たし、サイ・ヤング賞の投票では3位に入った。翌も10勝31セーブをあげて、2年連続でオールスターに出場した。1983年からの間は主にクローザーとして起用され、にはメッツのプレーオフ進出に貢献。ボストン・レッドソックスとのワールドシリーズ第7戦では、8番打者敬遠の後にダメ押しのタイムリーヒットを打ち、「胴上げ投手」にもなった。ランディ・マイヤーズの台頭や球威の衰えによりリリーフエースを奪われた末、1987年12月11日にロサンゼルス・ドジャースに移籍 。以後はセットアッパーとしての起用が増える。ドジャース移籍初年度の、55試合に登板して3勝9セーブ、防御率2.72を記録し、自身2度目のワールドシリーズ制覇を経験。翌にはクリーブランド・インディアンスに移籍。以後、にミルウォーキー・ブルワーズ(当時はア・リーグ所属)、にボルチモア・オリオールズとア・リーグのチームを転々としたが、18年連続40試合以上、と1994年から1995年のMLBストライキでシーズン短縮となったを除けば50試合以上に登板するコンスタントな活躍を見せた。40歳となったには自己最多の71試合に登板し、6勝3敗、防御率2.32の大活躍。8月17日にデニス・エカーズリーの通算1,071試合登板のメジャー記録を更新。にセントルイス・カージナルスに移籍し、12年ぶりのナ・リーグとなったが、この年は6試合の登板に終わり解雇。は13年ぶりにドジャースに移籍。には45歳で56試合に登板。にはサンディエゴ・パドレス、ニューヨーク・ヤンキース、ミネソタ・ツインズの3チームを渡り歩き、65試合に登板したが、この年限りで現役を引退した。
出典:wikipedia
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