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順陽丸

順陽丸(じゅんようまる)は日本の貨物船。太平洋戦争の時期には捕虜や労務者を強制労働のため各地へ運ぶ輸送船(こうした船は連合軍からは「ヘルシップ(地獄船)」と呼ばれた)となっていたが、1944年9月18日にインドネシアの沖合でイギリス海軍の潜水艦の雷撃を受け撃沈し、多数の死者を出した。「順陽丸」は1913年(大正2年)にグラスゴーのロバート・ダンカン造船所(Robert Duncan Co.)で建造された。当初はイギリスの Lang & Fulton 社のArdgorm 号、1917年(大正6年)よりNorfold North American Steam Shipping 社のHartland Point 号、1919年(大正8年)より Anglo-Oriental Navigation Co. Ltd 社の Hartmore 号、1927年(昭和2年)より日本の三陽社合資会社の「順陽丸」となり、1929年(昭和4年)に樺太汽船に売却、1938年(昭和13年)からは馬場商事の所有となった。貨物船であったが、定員2名の一等客室も備えていた。その後日本陸軍に徴用され、輸送船としては寝棚640床を有して軍馬を484頭収容でき、小発動艇を28隻搭載できる能力とされていた。後に捕虜の輸送船となり、捕虜収容用に甲板や貨物室に竹製の甲板を増設した。「順陽丸」はスマトラ島のプカンバル - ムアロ間の鉄道建設に投入される1,377名のオランダ人捕虜と64名のイギリス人(オーストラリア人含む)捕虜、8名のアメリカ人捕虜と4,200名あまりのジャワ人労務者を乗せて、1944年(昭和19年)9月16日にジャワ島バタヴィアのタンジョンプリオク港を出港。2日後の9月18日、の地点にさしかかったところでイギリス海軍潜水艦「」(HMS Tradewind)の雷撃により沈没した。これは5,620名が死亡する当時世界最大規模の海難事故になった。生存者723名は救助後、ビルマへ送られ鉄道建設に従事させられることとなった。

出典:wikipedia

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