関口 雄飛(せきぐち ゆうひ、1987年12月29日 - )は、日本のレーシングドライバー。2011年全日本F3選手権チャンピオン。東京都中野区出身。暁星高校卒業。小学校2年生の時にキッズカートに乗り始め、レース活動を開始する。1999年より全日本ジュニアカート選手権に挑戦を開始し、2001年には全日本カート選手権に参戦している。カートでは1発の速さはあるものの、なかなかタイトルまでは手が届かない状態が続いていた。しかし、2002年に入って才能が開花。シリーズタイトルを勝ち取るとともに、2003年にはフォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)を受講し、スカラシップを獲得した。なお、同年限定A級ライセンスを日本自動車連盟(JAF)から発給されている。トヨタ自動車が育成している新世代ドライバーとして、2004年から2006年までの3年間はトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)のサポートを受け、フォーミュラ・トヨタに参戦した。2004年及び2005年は、同じようにTDPのサポートを受ける大嶋和也や石浦宏明らの強力なライバルの存在もあって、なかなか結果を出せずにいたが、2006年は10戦中6勝をマークしてシリーズチャンピオンを獲得した。また、同年に新設されたフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)においては、2位と有効ポイントで同点であったが、優勝回数(3勝)が上回っており初代シリーズチャンピオンに輝いている。2007年はTDP契約ドライバーとして、オフのオーディションに合格したナウモータースポーツより、全日本F3選手権にステップアップした。しかし、マシン及びエンジンが型落ちであることに加え、多くの強豪ドライバーの存在もあり、なかなか結果を残せないでいた。しかし、第20戦もてぎラウンドにて、2位に入賞し初表彰台を獲得した(シリーズランキングは7位)。また、SUPER GTにも挑戦を開始し、GT300クラスの名門チームであるRACING PROJECT BANDOHから、ベテラン飯田章とパートナーを組んで参戦している(シリーズランキングは10位)。第5戦SUGOラウンドでは、自らがハンドルを握る77周目に先行する47号車の脇阪薫一を捕らえ、見事に逆転し初優勝を飾っている。なお、19歳7か月での優勝はGT300クラスでの当時の最年少優勝記録である(現在の記録は2008年第3戦富士での国本京佑の19歳4ヶ月)。2008年は当初はオフのオーディションに参加したHonda Team Realに移籍する予定であった(歩む道が同じであったため小暮卓史の再来とも言われていた)が、本人の希望により戦いの場をヨーロッパに移し、インターナショナル・フォーミュラ・マスター(IFM)に、元F1ドライバーの井上隆智穂がオーナーを、同じく元F1ドライバーのヴィンセンツォ・ソスピリが監督を務めるユーロノバから参戦した。また、2008年-2009年はGP2アジアシリーズの開幕ラウンド・中国のみDPRよりエントリーした。2009年は再び戦いの場を日本に移し、全日本F3選手権・NクラスにAIM SPORTSからエントリー。開幕前のテストではトップタイムをマーク。開幕戦はエンジンストールによるピットスタートにもかかわらず、優勝を果たした。またSUPER GTのGT300クラスにもレクサス・IS350で参戦している。2010年は全日本F3選手権のCクラスに参戦し、優勝こそなかったものの堅実なドライビングでポイントを積み重ねシリーズ2位となった。また、SUPER GTのGT300クラスにJLOCからランボルギーニ・ガイヤルド RG-3で参戦した。2011年は、全日本F3選手権のCクラスとSUPER GTのGT300クラスに参戦(JLOC/ランボルギーニ・ガイヤルド RG-3)した。全日本F3選手権では、第1戦と第2戦を欠場したものの、6回の優勝を含む多くの上位入賞を果たし念願のシリーズチャンピオンを獲得した。また、シーズン終了後のマカオグランプリにも全日本F3選手権のチャンピオンとして急遽出場し、急な参戦の為にセッティングも充分にされていない、性能に劣るマシンながらもトップ争いを演じて4位入賞を果たした。その後スペインのモーターランド・アラゴンでフォーミュラ・ルノー3.5のテストに参加し、初めてのマシンにもかかわらずいきなり3番手につけ注目された。2012年はそのままフォーミュラ・ルノー3.5をドライブするかと思われたが、日産自動車が主催する世界に通用する若手ドライバーの育成を目標にしたスカラシップ・プログラム「ニッサン・ドライバー・デベロップメント・プログラム」に抜擢された。その結果、この年よりSUPER GTのGT300クラスに初参戦する日産・GT-R(S Road NDDP)のファースト・ドライバーを務め、第4戦SUGOラウンドで優勝を果たした。2013年はMOLAに抜擢され、SUPER GTのGT500クラスにステップアップを果たし、本山哲とコンビを組みカーナンバー「1」をつけた日産・GT-Rで参戦した。また、11月に開催されるマカオグランプリのF3にも再度参戦した。2014年は、日産自動車からレクサスへ移籍し、TEAM WedsSport BANDOHで脇阪寿一とコンビを組む。序盤は、チームの車体デリバリーが遅かったため苦戦をし、レースでも接触をするなどトラブルに見舞われる。しかし、後半戦では、上位に進出するなど安定した速さを見せた。2015年もTEAM WedsSport BANDOHで脇阪寿一とコンビを組み、激戦のGT500において数度のポイント獲得を果たすなど、速さだけでなく安定感も見せつけた。また、全日本F3選手権にスポット参戦したほか、11月に開催されるマカオグランプリのF3にも再度参戦した。2016年はTEAM WedsSport BANDOHでGT500を勇退した脇阪寿一に代わり、新たにチームルマンから移籍してきた国本雄資とコンビを組む。2016年からはSUPER GTと平行してインパルから念願のスーパーフォーミュラ参戦を果たした。開幕戦岡山では序盤にミスを犯し14位に終わったが、ファステストラップを記録した。第3戦もてぎで初表彰台を獲得。第4戦では初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾った。第6戦菅生ではシーズン2勝目をハットトリックで飾った。
出典:wikipedia
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