カモワン・タロット(仏:Camoin Tarot de Marseille)は、フィリップ・カモワン(Philippe Camoin),アレハンドロ・ホドロフスキー(Alexandro Jodorowsky)の両名によって製作されたタロットカードの名称。及び、それを解説した「秘伝 カモワン・タロット」と題された書籍。日本では2002年1月1日付けで学習研究社(現在は事業分割を経て学研パブリッシング)から解説書とカードのセットで発行されている。カード全ての絵柄は「マルセイユ版タロット」に準拠しており、同デッキを「本来の姿へ復元したものである」と主張している。カモワン・タロットは、17世紀以来タロットの一大生産地となっていたフランスの都市・マルセイユに於いて、1760年にニコラ・コンヴェルによって製作されたタロットカード、いわゆる「マルセイユ版タロット」が、印刷技術の発達と合理化に伴い、当時製作されていたカード本来の配色や絵柄、さらにそれらが持つ本来の意味や解釈を失ってしまったと考えた、フィリップ・カモワンによって発案され、映画監督・アレハンドロ・ホドロフスキーの助力を得て、1998年(マルセイユ市の創立2600年に当たる年)に完成された。現存する世界最古のタロットカードは、1484年の日付が入った「ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロット」とされている(タロットの項も参照)。一方、フランス最古の「マルセイユ版タロット」とされているのは、17世紀後半のパリにてジャン・ノブレによって作成されたタロットカードとされている。(マルセイユ版タロットの項参照。)この後、18世紀中頃のマルセイユでは、木版印刷・銅版印刷の技術は非常に高いものとなっており、タロットを始めとするプレイングカードの一大生産地となりつつあった。やがて1760年、ニコラ・コンヴェル(Nicolas Conver)という人物がマルセイユにタロットカードの印刷所を設立する。当時、コンヴェルが梨の木に彫って作成した木版によるタロットカードのデザインは、それまで製作されていた他のカードのクオリティに比べより洗練されたものであると同時に、秘教的象徴体系をデザイン・配色とも完璧に描き表したと考えられている。このことから「ニコラ・コンヴェル版タロット」こそ、マルセイユ版タロットとして最も完璧であると考える研究者も多い。このコンヴェルによって創設された印刷所は、1861年にジャン・バティスタ・カモワンがコンヴェル家の娘と結婚したことによってカモワン家が引き継ぐこととなったのである。カモワン家がコンヴェル家とその印刷業を継いだ19世紀後半には、既にマルセイユのタロット産業は衰退が始まっており、当時のマルセイユで稼動していたカード製作業者は2軒のみであった。やがて1878年にはカモワン家のみとなったが、フランス語版・外国語版を併せて100万部以上の製造を行っていた。カモワン家の工場には55人の従業員が働いていたことが確認されており、当時の印刷技術は機械と手仕事を両立して行われていた。ジャン・バティスタ・カモワンの息子アントワーヌがこれを引き継いだ後は、一時的に事業の縮小を余儀なくされたものの、印刷機械の発達と共に印刷技術の機械化が導入され、生産力の向上と共にアフリカの市場を獲得するなど、その業績を上げて行くこととなった。しかし、当時の印刷機械では手作業の木版職人と同様の配色は不可能なものであり、赤・青・黄色・肌色の4色のみが印刷可能であった為、初期のニコラ・コンヴェルのデザインに基づく配色は失われ、同時に生産の効率化を図る為からデザイン自体の簡略化も行われた。即ち、コンヴェルによって完璧に描き表された秘教的象徴体系は、この時点で失われたのである。その後、20世紀初頭にはカモワン家の印刷事業は、1900年の万国博覧会(第5回パリ万博)で銀賞を獲得する等の成功を収めたが、第二次世界大戦以降、各国でのカード需要の減少と共に衰退へ向かうこととなる。そして1971年、フィリップ・カモワンの父の死を契機に工場は閉鎖されることとなった。カモワン・タロットの発案者であるフィリップ・カモワン(Philippe Camoin)は、1956年、マルセイユに工房を構えるカードメーカーであったカモワン家の長男として生を受けた。幼少の頃からタロットについての家伝を受け継ぎ、組合員や職人からはタロットについての口伝を学んだ。カモワンが本格的にタロットの研究を開始したのは14歳の頃であり、26歳で祖父の死に立ち会うと、先祖伝来のマルセイユ・タロットの伝承を継承することこそ、自らに課せられた天命であると悟った。数学・医学・コンピュータ・心理学・語学(12ヶ国語)を習得し、また、パリの俳優学校にて1年間、映画製作の強化訓練を受けたカモワンは、これらの学業を修めた後はタロットの発祥に至る源泉を求める旅に、20代・30代の大半を費やした。この旅は、現代に真のタロットの姿とその真の意味を復刻させるに当たり、タロットの起源や由来、古代より口頭でのみ伝えられていたとされる秘伝や秘教体系が、まだ世界各地に残されている可能性が懸念された為であった。やがてパリにて、映画監督のアレハンドロ・ホドロフスキーと出会う。ホドロフスキーは、「エル・トポ」等のカルト映画界の巨匠として知られ、同時にマルセイユ版タロットを40年に渡って研究してきたタロットのコレクターでもあった。カモワンが、自らがニコラ・コンヴェル版タロットの版木を継承するカモワン家の人間であることを明かし、現代のマルセイユ版タロットをかつての姿へ復元したい意思をホドロフスキーへと伝え、意気投合。以後、共同で研究を行うこととなった。フィリップ・カモワン、アレハンドロ・ホドロフスキーの両名によるコンピューター分析・歴史的検証に基づいた新しいタロットのデザインは、着手から5年の歳月の経て完成に至った。カモワン・タロットのデザインは、先に述べられている「ニコラ・コンヴェル版タロット」に沿ってはいるものの、コンヴェル版の完全な復刻版ではなく、カモワン、ホドロフスキーの両名による研究や検証によって全くのオリジナルのカードとなっている。とはいえ、両名による恣意的な変更は行われておらず、あくまでコンヴェル版以前のタロットを逐一検討し、秘教的意味を持つ象徴と色彩を全て「復元」したものであると主張している。その構図自体は「グリモー版」など既に一般的に普及しているマルセイユ系のカードとほぼ同様のものとなっている。しかし、その配色は赤・水色・青・鮮やかな黄色(レモン色と表記)・オレンジ色・緑・淡い緑(竹色と表記)・肌色・紫と多彩であり、従来のマルセイユ系の他版と比べ、派手な印象を受けるものとなっている。その絵柄の方も、従来のマルセイユ系にしばしば見られるインクの滲み等による不鮮明な個所は一切無く、例えば「奇術師」を例に挙げると、テーブルに置かれた品々(コップやサイコロなど)や足元に生える草の一本一本に至るまで鮮明に描き表されている。加えて、その細部に於いては従来のものには見られなかった数々の象徴が付け加えられており、特にカード一枚一枚に描かれた人物の「視線」は特に強調して描き表され、後述する実占時の展開方法と大きく関わっている。これらの変更点は象徴的意味合いやカードの解釈が従来のマルセイユ版と大きく異なる部分もある為、タロット愛好家からの評価は分かれる。また、日本語の翻訳にあたって大アルカナの数種のカードに対しての呼称を、カードの解釈や「より日本文化に沿ったもの」といった理由から、以下のように呼称することを推奨している。この他に小アルカナのスートに対しても、「コイン」を「玉」と呼称することも推奨している。尚、これらの変更点・解釈に対して、タロット愛好家からは否定的な意見も挙がっている。学習研究社からカードとセットで発行されている解説書では、様々な数式を用いてタロットの大アルカナ・小アルカナに当てはめて行くといった解釈が行われており、それらを当てはめる上で、カバラ・生命の樹や占星術といった神秘的解釈、アルフレッド・ダグラスやサリー・ニコルズといったユング心理学と関連させた解釈を巧みに取り込み、数とカードの関連を重視した解釈方法が採用されている。また、カード解釈の方法論として「フレンチ・メソッド」を採用している。「フレンチ・メソッド」とは大アルカナの22枚の内、1番から10番まで、11番から20番までのカードをそれぞれ順番に並べ上下2列に展開する。そして「愚者」と「世界」の2枚を両脇に配置して解釈を行うという方法論であるが、この「フレンチ・メソッド」に小アルカナの数字カードを適合させることで、小アルカナの解釈を容易にしている。カモワン・タロットの展開方法は「ケルト十字法」や「ヘキサグラム法」など、一般的に知られている展開方法とは大きく異なり、独特の展開方法を採用している。それは、あらかじめ決められた位置に配置し、配置先の解釈に準拠するといったものではなく、カードを展開した時の「カードに描かれた人物の視線」の先にもう一枚展開する、といったものとなっている。この方法は占う度に、展開される枚数・形が変化する為、またカードの解釈も隣り合うカードによって千差万別に変化する為、型にはまる事無く個別の内容ごとに臨機応変に対応できるというメリットが挙げられている。
出典:wikipedia
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