LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

駅馬車 (1939年の映画)

『駅馬車』(えきばしゃ、原題: "Stagecoach")は、1939年のアメリカ映画。ジョン・フォード監督。主演はジョン・ウェイン。共演はクレア・トレヴァー 、トーマス・ミッチェル 、ジョージ・バンクロフト。アーネスト・ヘイコックスの原作をダドリー・ニコルズが脚本を書いている。アメリカの西部劇映画を語る上で欠かせない名作であり、映画史を代表する傑作として高く評価されている。主演のジョン・ウェインはこの映画に出演する9年前の1930年に「ビッグ・トレイル」で主演に抜擢されたが不評で、その後長い不遇時代を過ごし、B級西部劇映画に出演しながら俳優としての実力を蓄えて、この映画の演技が認められて以降はジョン・フォード監督作品の看板俳優として主演を務めていくようになり、一躍大スターになった。西部劇ではあるが、物語は駅馬車に乗り合わせた人々の人間模様が中心で、終盤にアパッチ襲撃と決闘という2つのクライマックスが描かれている。アパッチ襲撃のシーンは大胆なクローズアップによる撮影やヤキマ・カヌートによる見事なスタントで、スピーディーかつダイナミックなアクションシーンとなり、アクション映画史上不朽の名場面となった。1995年にアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。ジェロニモがアパッチ族を率いて居住地を出たという情報が飛び交っていた頃、アリゾナ州トントからニューメキシコ州ローズバーグに向かう駅馬車が出発した。乗客は町から追放された娼婦ダラス(クレア・トレヴァー)、アルコール中毒の飲んだくれ医者ブーン(トーマス・ミッチェル)、はるばるバージニアから来て夫のマロリー騎兵隊大尉に会いにいく貴婦人ルーシー()、小心者の酒商人ピーコック(ドナルド・ミーク)であった。出発の際に南部出身の賭博師ハットフィールド(ジョン・キャラダイン)が「マロリー夫人の護衛」として乗り込んだ。御者のバック(アンディ・ディバイン)とカーリー・ウィルコック保安官(ジョージ・バンクロフト)が加わり、合計7名で駅馬車は出発する。さらに出発してすぐにトントの町はずれで銀行家ヘンリー・ゲートウッド(バートン・チャーチル)が駅馬車に乗り込んできた。彼は5万ドルを横領し、ローズバーグへ逃げて雲隠れするつもりであった。駅馬車が砂漠にかかる時、突然銃声がして馬車が止まった。ライフルを軽々とクルリと回して現われたのは脱獄囚のリンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)であった。保安官カーリーと御者バックはリンゴ・キッドとは旧知の間柄であった。リンゴが脱獄で500ドルの懸賞金がかけられていることも知っていたが、彼が父と兄弟を殺したプラマー兄弟に敵討ちをするためにローズバーグへ行くことも予知していた。そしてカーリーはリンゴがローズバーグに行くことを予想してこの駅馬車に乗ったのだった。「リンゴがプラマー兄弟と決闘しても殺される」に決まっていると考え、ライフルを取り上げてリンゴを逮捕した。リンゴの父とは同じ牧童仲間で父親代わりであったカーリーにとって、逮捕することがリンゴを安全にする方法であった。また皮肉なことに同乗した飲んだくれ医師ブーンは、かつてリンゴの殺された弟を治療したことがあった。駅馬車は最初のステーションであるアパッチウェルズに到着する。ここでトントから随行してきた護衛の騎兵隊との交代の部隊がいなかった。ジェロニモがアパッチ族を率いて居住地を出た情報がある中、護衛なしで前進してローズバーグを目指すか、引き返すかの投票が行われ、ローズバーグに向かうことに決定する。道中の馬車の中で、賭博師ハットフィールドはさかんにルーシーのために気を使い、ルーシーに銀のカップを差し出す。ルーシーはそのカップを見て「これはグリーンフィールド家の紋章では?」と問う。ハットフィールドはどこかで賭けて儲けたものと云う。ダラスに対しては皆の目は冷たく、無視されている。そのことでリンゴが怒ったりしていた。また酒商人ピーコックが販売拡大の営業のため持ってきたサンプルの酒が、飲んだくれ医師に飲まれてしまう。次のステーションであるニューメキシコのドライフォークに到着するが、ここでメキシコ人のクリスから「マロリー大尉が負傷してローズバーグに運ばれた」と伝えられてルーシーは倒れる。ルーシーは妊娠していてショックで産気づいてしまう。メキシコ人の牧童たちがジェロニモの襲撃を恐れて夜のうちに逃げ出し、クリスの妻も姿をかくしてしまう。飲んだくれ医師ブーンがコーヒーを浴びるように飲んで正気に戻り、ダラスの助けもあって無事にルーシーは女児を出産する。リンゴは道中親しくなったダラスにプロポーズし、一緒にメキシコに住もうと誘うがダラスは答えなかった。そしてダラスに励まされ、リンゴは敵討ちを諦めメキシコに逃げようとして、アパッチの狼煙(のろし)を発見する。狼煙は襲撃の合図であった。リンゴはメキシコ行きを諦める。そして駅馬車はドライフォークから川の渡し場に行き、川を渡ってローズバーグを目指そうとした。だがすでに渡し舟を含め川の渡し場全体が焼討ちにあっていた。そこで駅馬車に筏をつけてそのまま浮かして川を渡りきり、難関を突破した。渡っている間にアパッチの襲撃はなく、一同は安堵するが、渡し場でアパッチの光信号のようなきらめきを見たハットフィールドは警戒を続けていた。危機が去ったとして終着駅がもうすぐだとしてブーンが祝杯を挙げようとしたその瞬間、突然弓矢が飛び込みピーコックの胸に突き刺さった。ついに総攻撃をかけてきたアパッチ族に、駅馬車の男たちは必死に応戦する。バックは腕を打たれ、リンゴが先頭馬まで飛び移り手綱を引いた。やがて弾薬が底をつき、ハットフィールドは最後の一発をルーシーに向けた時、アパッチの流れ弾に撃たれて命を落とす。その直後にラッパの音が聞こえ騎兵隊が到着し、危機一髪で駅馬車は難を逃れた。結局一人の犠牲者と二人の負傷者と共にローズバーグに到着する。ローズバーグに着いてから、リンゴはカーリーに「10分だけくれ、絶対に戻るから」と云う。カーリーはライフルを渡して「弾は無いぞ」と云う。しかし実はリンゴは3発だけ隠し持っていた。ダラスにも「きっと戻ってくる」と言い残してプラマー兄弟のいる酒場に一人向かった。酒場ではルーク・プラマーがポーカーをしていて、リンゴ・キッドがやって来たと知らされて、その場に捨てたポーカーのカードはAと8の黒のツー・ペアであった。ルークを筆頭とするプラマー三兄弟はリンゴと酒場の前でにらみ合う。一瞬の銃撃戦の末、酒場に再びルーク・プラマーが戻ってきた。ルークはカウンターに近付いた瞬間に床に倒れた。リンゴは無傷でダラスの元に戻ってきた。カーリーとブーンが馬車を用意していて、リンゴはカーリーにダラスを牧場まで送るように頼む。カーリーはダラスもリンゴも馬車に乗せて送っていくことにすると言う。そういった後にブーンと馬車から降りる。カーリーとブーンは馬に石を投げ、「彼ら(リンゴとダラス)を文明から逃がす」のだった。カーリーはブーンに「一杯おごるよ」と誘い、ブーンは「一杯だけな」と答え、ダラスとリンゴの二人が乗った馬車は荒野へ去って行った。『男の敵』(1935年)などの監督作品がヒットし、人気監督となっていたジョン・フォードは、1937年にアーネスト・ヘイコックスの短編小説『ローズバーグ行き駅馬車』(ハヤカワ文庫『駅馬車』/井上一夫訳)の映画化権を2500ドルで獲得し、ダドリー・ニコルズと脚本を執筆。フォードが所属する20世紀フォックスに企画を持ち込んだが、当時衰退していた西部劇の映画化には興味がなく拒否され、その他大手の会社にも企画を持ち込むも相手にされなかった。そこで、独立プロダクションを立ち上げて製作活動を行っていたウォルター・ウェンジャーに話を持ち込み、53万ドルという低予算で作品を製作することとなった。フォードにとっては『三悪人』(1926年)以来の西部劇映画となった。後にジョン・フォード監督はこの映画の発想源はギ・ド・モーパッサンの短編小説『脂肪の塊』だと語っている独立プロでの低予算の映画であるため出演料も安かったが、トーマス・ミッチェル、ジョン・キャラダインなどといった芸達者な俳優を集めることに成功した。主演級の俳優については、ウェンジャーはリンゴ・キッド役にゲイリー・クーパー、ヒロインのダラス役にマレーネ・ディートリヒをそれぞれ起用しようと考えていたが、低予算であったため希望は実現せず、ダラス役にクレア・トレヴァー、リンゴ役にフォードの友人でB級映画専門の俳優だったジョン・ウェインという、フォードが希望していた俳優が起用される形となった。しかし、ほとんど無名だったウェインの主役起用は周囲から反対されていたという。撮影は1938年10月頃に始まり、ユタ州にあるモニュメント・バレーで撮影を敢行した。この撮影以降フォードは多くの監督作品をモニュメント・バレーで撮影し、お気に入りの撮影スポットとした。また、モニュメント・バレーに住んでいたインディアンのナバホ族が生活に困窮していたことを知った撮影隊は、彼らを撮影の裏方やエキストラとして雇い入れ、スタジオで規定されている報酬を払って生活を助けたというエピソードがあり、ナバホ族の雇用はその後の作品で撮影に来た際も続けていた。ジョン・ウェインは無名であるにもかかわらず大役に抜擢されたため、共演者やスタッフたちはウェインのことを快く思っていなかった。それを知ったフォードは撮影中にウェインを罵倒し侮辱し徹底的にしごいた。それは共演者たちが駆け出しのウェインに反感を抱かぬようにするためのフォード一流の深謀遠慮であった。クライマックスのインディアン襲撃の場面はカリフォルニア州にある乾燥湖で撮影が行われ、ウェインのスタントマンとして活躍していたヤキマ・カヌートをスタント・コーディネーターとして起用された。カヌートは馬から駅馬車を引っ張る馬に飛び移り、そこを撃たれて落馬して彼の体の上を馬車が通過するという危険なスタントを披露した。しかし、そんな危険なスタントのおかげでこの場面はハラハラするような迫力あるシーンとなった。1939年2月15日に公開されたが、批評家から大絶賛され、興行的にも大成功した。この年のアカデミー賞には7部門にノミネートされ、助演男優賞(飲兵衛医者を演じたトーマス・ミッチェルに)と音楽賞をそれぞれ受賞した。しかし作品賞は13もの賞にノミネートされ、8つの賞を獲得した『風と共に去りぬ』が受賞した。日本では翌1940年6月19日に封切られたが、この作品は映画評論家淀川長治が、ユナイテッド・アーティスツ日本支社の宣伝部勤務になって最初に担当した作品であり、『駅馬車』という邦題を考えたのも淀川である。淀川の宣伝活動はやりすぎだったため、一度は会社をクビになるが、作品が大ヒットしたためクビは免れている。また、淀川の活動ぶりはアメリカに報告され、後日淀川に作品の製作者であるウェンジャーからサイン入りの銀時計を贈られた。作品は現在も高い評価と人気を受け続けており、映画史上に残る不朽の名作として知られている。映画批評家らを対象にした過去の作品のランキングや投票では必ずと言っていいほど上位にランキングされている。国内での評価も良く、1940年度のキネマ旬報ベストテンに第2位でランクインされた。ランキング以下は日本でのランキングその他の声の出演:鎗田順吉、仲木隆司、水鳥鐵夫、上田敏也、田中康郎、今西正男、渡辺典子、石森達幸、緑川稔、島木綿子、鈴木れい子主題歌:『駅馬車』(映画タイトルと同じ)本作品はもともとユナイテッド・アーティスツを通じて配給されていたが、「7年契約ルール」により1946年には配給権を製作者のウォルター・ウェンジャーに返還していた。それ以降いくつもの独立系の配給会社が何年も配給を行なっていた。1966年にリメイク版を制作することになる20世紀フォックスがオリジナル作品の著作権をウォルター・ウェンジャーから買い上げ更新ていたが、また後にウェンジャーの死後になってケイディン映画社(Caidin Film Company)を通じ家族に返還された。しかしながら配給権はジュリアン・シュロスバーグが1978年に立ち上げたキャッスルヒル・プロダクションズ(Castle Hill Productions)が保持していたが、2009年にキャッスルヒルが廃業し、同じく彼の所有するウェストチェスター・フィルムに譲渡された。現在、2014年にジュマー・プロダクションズ/ウェストチェスター・フィルム(Jumer Productions/Westchester Films)社を買収したシャウト!ファクトリーが保持している。興業配給は現在ワーナー・ブラザーズが取り扱っている。本作品のネガフィルム原版は紛失もしくは廃棄されており、ジョン・ウェインが映写機にかけたことのないポジティブ・フィルムの形で1本所有していた。1970年に複製ネガフィルムを制作するためにそのポジを使用することを許可し、この複製が現在映画祭などで使用されているものである。UCLAが1996年に現存する部分からフィルムの完全修復を行ない、ケーブルチャンネルのアメリカン・ムービー・クラシックス(AMC)で公開した。ワーナー・ホーム・ビデオから過去に発売したDVDにはこのレストア版ではなくキャッスルヒル/ケイディン映画版が使用されていた。2010年5月にはデジタルリマスター版のブルーレイとDVDがクライテリオンから発売されている。2014年にはジョン・フォード監督の生誕120年を記念して、デジタルリマスター版が『静かなる男』と共に劇場公開された。ユナイテッド・アーティスツ製作だが現在、米国では版権をキャッスル・ヒル・プロダクション、配給権をワーナー・ブラザーズが保有する。日本では東北新社が配給権を持つことから東北新社が正規版DVDを発売中。日本では著作権の保護期間が終了したと考えられることから現在激安DVDが発売されている模様。ただし監督没後38年以内なので発売差し止めを求められる可能性がある。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。