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ラガーレグルス

ラガーレグルスは日本の競走馬・種牡馬。おもな勝ち鞍は1999年のラジオたんぱ杯3歳ステークス。主戦騎手は佐藤哲三で、すべての競走で騎乗した。※馬齢は、旧表記(数え年)で統一する。1999年9月、阪神競馬場の新馬戦(ダート・1200メートル)でデビューし、2着馬に4分の3馬身差をつけ初勝利。続く、オープン特別の野路菊ステークスも2着のブイイオンに2馬身差をつけて制し、連勝を飾った。重賞初挑戦となったデイリー杯3歳ステークスでは、逃げ込みを図るレジェンドハンターを追い上げるも2馬身半及ばず2着に敗れた。この後は朝日杯3歳ステークスに臨み、レジェンドハンターに次ぐ2番人気に支持されたが、スタート直後に落鉄したため競馬にならず、エイシンプレストンの7着と不完全燃焼に終わった。続いて、中1週のローテーションながらラジオたんぱ杯3歳ステークスに出走。レースでは、初めて後方待機策をとり、4コーナー手前で前を塞がれて落馬寸前の不利を受けながらも最後の直線で豪脚を繰り出し、オースミコンドルを半馬身差し切って重賞初制覇を果たした。翌2000年の初戦は、2月の共同通信杯4歳ステークス。隣の枠の馬が暴れたことにつられ、発走前にゲート内で膠着したため、スタートで2秒という致命的な出遅れを犯し、直線で差を詰めたものの、優勝したイーグルカフェから0秒9差の7着に終わった。続く弥生賞では、出遅れることなく発走し、中団から直線で鋭く伸びフサイチゼノンから0秒2差の3着。2着のエアシャカールにはクビ差。4着のジョウテンブレーヴとは6馬身の差が開いていた。年が明けてからは未勝利だったものの、負けてなお強しの競馬が評価され、皐月賞では3番人気に支持された。ゲートに入るまでは落ち着いていたのだが、最内枠だったためゲート内で待たされる時間が長かったこともあり、発走の寸前にゲート内で立ち上がり、鞍上の佐藤を振り落として、競走中止。ゲートから出ることすらなく皐月賞が終わり、本馬がらみの馬券約56億円が一瞬で紙くずとなった。場内が騒然となる中で、優勝したのはエアシャカールだった。皐月賞での駐立不良によって、ゲート再審査が課せられることになった。5月6日に京都競馬場で予行演習が行われ、この時は大きな問題も無くゲートを出た。本番のゲート試験は、東京優駿(日本ダービー)を翌週に控えた5月20日、開催中の東京競馬場の昼休みに行われた。1回目の外枠からの発走は問題無くスタートしたものの、一部の観衆が、大声で野次を飛ばす、柵を傘で叩く、といった悪意ある行為を繰り返したこともあって、興奮してしまい、2回目の内枠からの発走ではゲート内で立ち上がり、ゲート試験は不合格に終わった。観衆の一部がこれを揶揄したため、佐藤がスタンドに詰め寄ろうとする一幕もあった。東京優駿出走への道が断たれると、放牧に出され休養に入ることとなった。休養明け初戦には札幌記念を予定していたが、ゲート練習中に外傷を負ったため断念。この後、調教中に右前脚に屈腱炎を発症し、長期休養を余儀なくされたため陣営は復帰を諦め、10月20日付で現役を引退することとなった。引退後は、2001年から門別町の名馬のふるさとステーションで種牡馬入りした。種付け数に恵まれなかったこともあり、活躍馬を出せず、2005年12月31日付で転売されその後の行方は不明である。生涯で11頭しか残せなかった産駒のうち3頭は本馬と同オーナーの馬である。2008年11月9日3回福島6日目5Rダート1700mの3歳以上500万円以下のレースでラガーチトセオーが勝利(4番人気)。同馬産駒の中央競馬初勝利をあげた。4代母ミツマサは1946年の優駿牝馬を4戦無敗で制した。ミツマサの子孫の活躍馬には古くはヒガシソネラオーやネイチブランナー、近年はレインボークイーンなどがいる。

出典:wikipedia

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