ムサシノ模型飛行機研究所(ムサシノもけいひこうきけんきゅうしょ)は、埼玉県小川町にある模型飛行機の会社。ムサシノ模型飛行機研究所は、軽量な木材であるバルサを主材料とした、ラジオコントロール模型飛行機(以下RC機)を製造している。主として、グローエンジンを動力とするRC機(以下、エンジン機)で、排気量09-10クラス(約1.8cc)の小型軽量の機体を発売している。また、近年の低騒音、低公害の要請に対応し、モーターを動力とした電動RC機(以下、電動機)の開発にも力を入れている。同社ブランドのモーターは低消費電力で高性能であると評価されている。(注:モーターとは動力を発生する機械を指し、電動機とは電気により動作するモーターのことを指すが、ここでは、模型飛行機関係の一般的呼称に従い、「モーター」を電気により動作するモーター、「電動機」を電気により動作するモーターを推進に使用する模型飛行機を指すものとする。)ゆっくりズムとは、ムサシノ模型飛行機研究所が提唱する市民権を確保できるRC機の飛行法。RC機を飛行するためには、ある程度の広さの空域が必要である。機体の飛行速度にもよるが、数百m四方の空間が確保できることが安全上必要となる。また、RC機の電波は上空では半径1km程まで到達するため、同一周波数の電波を発射し、操縦を行うためには電波の発射地点は2km以上離れていることが望ましい。1980年代にはRC愛好者の急増に伴い、都市郊外の河川敷等には過密状態でRCクラブの飛行場が存在し、またそれぞれのクラブでも会員数増大により、飛行場に行っても順番待ちでなかなか飛ばせないという状況が発生した。RCクラブの飛行場は飛行する範囲の全域が私有地であることは少なく、国有地であるが一部を占用許可を得て使用している場合、また許可無く利用している場合もある。河川敷など行楽客が訪れたり、近くに民家があったりするような場所で、相当な大きさの排気音を発し、時速100キロメートル以上の高速で飛行することのできるRC機は、周辺住民から危険で騒音を発する公害として見られやすく、市民権を得ることは難しかった。このため飛行場の閉鎖が各地で次々に起きた。ムサシノ模型飛行機研究所は、周辺住民から追われるRC機の現状に対し、市民権を得ることが出来る飛行を実現するために、独特の解決法を提唱した。それは、というものである。この効果は大きく、それまで比較的低速な部類のRC機でも時速50キロメートル程度で巡航していたものが、最低飛行速度時速20キロメートル台、巡航速度は時速30キロメートル以下でも十分自由な操縦が可能となった。低速飛行では同時にエンジンの回転数も半減するため、サブマフラーの消音効果とあいまって、飛行中の機体から30m程離れるとほぼ無音とすることが出来た。これらの低速、低騒音飛行にあわせ、地上2,3mで飛行すること、必要最小限の燃料を搭載すること(軽量化およびメカニズム障害時の被害低減)、人が全くいないときに飛行するなど万が一の場合でも安全が確保できる状況で飛行すること等を条件として、これまでのRC機が飛行できなかった、狭くて身近にある空き地などでの飛行を可能にしようとした。ムサシノ模型飛行機研究所ではこれを『ゆっくりズム・ノイズレススローフライト』と称した。また極端な低騒音化、飛行速度の低下により、日の出直後、早朝の飛行までもが可能となり、無人の公園や空き地で誰にも気付かれずに飛行することも出来た。このような飛行法は『忍者飛行』とも呼ばれた。ムサシノ模型飛行機研究所では、2つの点でそれまで広く行われていたものとは違うRC機の飛行法を提唱した。1つは、バンク角25度以内での旋回を行い、舵を中立にして旋回を終了するというものである。実機でも基本の操縦法であるが、RC機の中には(入門機の中にも)、このような操作ではない操作が必要な機種がある。すなわち、主翼上反角が小さいため、ロール方向の復元性が低く、旋回からの復帰には逆方向への操舵が必要となるものである。このような機種はエルロンを主舵とする、曲技飛行も可能な機体であることが多く、ムサシノ模型飛行機研究所は入門機としては、ラダーを主舵とする(エルロンを持たない)十分な上反角を持った機種を、自律安定性が高く、低速でも操縦性が良いとして推奨している。なお、ラダーを主舵とする飛行機は、上反角が不足した設計の場合、ヨー軸周りの運動からロール運動が十分に連成されず、現実的には操縦ができないことがある(主翼の横滑りから発生するロール軸まわりのモーメントClβは上反角に比例する)。上反角が少ない、エルロンを主舵とする飛行機でラダー操舵のみで旋回させようとした場合の旋回性の悪さから、『ラダー方式機は旋回性が悪い』、『操縦練習に当たって変な癖がつく』という誤解を受けるのはこの理由による。逆にエルロンを主舵とする飛行機は、低速飛行時にはエルロンの効果が減少すること、エルロン操舵によって発生する左右翼の不均衡な抗力によるアドバース・ヨーのため操縦が難しく、正常な旋回を行うためには同時にラダーも使用することが必要となる。第2点目は、上昇、下降にはエンジンの回転数の増減を利用することである。これも実機では基本の操縦方法であるが、RC機の場合、上昇、下降はエレベータにより行うという操縦が広く行われている。 そのような操縦はエンジンが常時全速で運転している等、推力が相当余分に発生していることが前提である。エンジン回転数が巡航速度とつりあうだけのものであるときには、エレベータを使用して上昇を試みても、一時的に上昇しても速度がすぐに低下し、逆に高度が下がってしまうか失速してしまう。ムサシノ模型飛行機研究所が提唱する低騒音飛行を行うためには、エンジン回転数を必要最小限として低速飛行することが必要であり、おのずとエレベータではなくエンジン回転数の増減により上昇、下降を行うことになる。ムサシノ模型飛行機研究所は、設計から材料の切り出しに至るまで、手作業にこだわっている。図面はCADではなく、板材の加工も流行のレーザーカットによるものではないが、高い精度で製作しやすい前加工が施されている。ムサシノ模型飛行機研究所のキットは、その材料の大部分がバルサである。一口にバルサといっても、その密度は一定ではなく、非常に軽量だが強度の低いソフトバルサ、重いが堅く、強度の高いハードバルサ、その中間のミディアムバルサなどと呼ばれる材質の違いがある。これらをそれぞれ機体の各部の強度、重量的な要求に適合するよう選定し、木目方向を考慮しながら加工してある。翼の材料については左右の重量バランスが狂わないよう、比重が一定のものを選定してセットに組み入れている。フリーフライト室内機を製作するマニアや、鳥人間コンテスト参加者からもバルサのみの注文が入り、数量のみならず比重まで指定しての注文もあるという。上述のとおりキットの材料加工は大部分が手作業による加工であり、NC加工機などは使用されていないが、創業以来の技能の蓄積によるものか、部材の加工は正確で、組み立てにあたって切削加工が必要となる部分はかなり少ない。スタント機とは、規定のパターンを正確に飛行し、その技量を競うスタント競技に使用することを目的としたRC機のことである。1980年代、RC機の世界は主として大型で高速に飛行するスタント機を中心にしたものであったが、上述のように、危険性と騒音で各地のRC機飛行場は閉鎖を余儀なくされつつあった。1986年5月、当時最も有力だった月刊誌『ラジコン技術』にて、あるRC機入門記事が掲載された。その内容は等といったもので、ムサシノ模型飛行機研究所の主張とは真っ向から対立するものであった。館林重雄は、ラジコン技術編集部には記事内容が入門者向けとして不適切であり、営業部には小型のモーターグライダー的な入門機を製造しているメーカーとしては営業妨害に当たるとして強く抗議した。その後ラジコン技術編集部と3回にわたる会談の末和解し、今度は館林重雄が、ムサシノ模型飛行機研究所の主張する方法でのRC機入門記事を執筆することとなった。この記事は1986年7月号に掲載された。記事の内容は、特に経験者からの指導を受けられず、独学で入門するしかない初心者にも安全に練習できるよう配慮されたもので、この記事の後、ムサシノ模型飛行機研究所には郡部、山間部と思われる住所のファンレターが増えたという。皮肉にも、これら一連の事件により、ムサシノ模型飛行機研究所の提唱する『ゆっくりズム』が広く知られることとなり、わずかに遅れて出版された『軽ラジコン機入門』およびムサシノ鳥シリーズと呼ばれる製品群の販売促進に貢献することになった。ムサシノ模型飛行機研究所は、1980年代前半に、RC機だけではなく、操縦の出来ない自由飛行型(フリーフライト)模型飛行機の普及活動も行っていた。RC機よりも価格的に手軽で作りやすいフリーフライト機で、少年層にも模型飛行機を普及しようという意図で企画されたものだった。だが現実には販売は苦戦したようで、数年で取り扱いを中止してしまっている。紙製のグライダーによる競技はそれまでも行われていて、手軽なものから性能を追求したものまで多種多様なものがすでに存在していたが、ムサシノ模型飛行機研究所が発売した機体は、垂直上昇により高度を確保し、高い沈下率で上昇気流を回避するという逆転の発想によるもので、狭い範囲で楽しめ、紛失しにくいというものだった。紙飛行機同様の目的で、米国ペックポリマー社のゴム動力スケール機(実機を精巧に模した形態を持つ模型飛行機)および、スポーツ機を輸入販売した。スケール機はピーナッツスケールと呼ばれる規格のもので、翼長約33cmと小さく、重量も10数グラムだが、かなり高度な製作技術が要求され、RC機の製作よりも難しいことがある。スポーツ機は、ピーナッツスケールほど製作は難しくないが、それでも簡単に作れるおもちゃのようなものではなく、ある程度工作能力が必要となる。ムサシノ通信は、1982年より、1989年・第22号まで発行された、ムサシノ模型飛行機研究所のミニコミ誌。この時期は上述の、RC界がスタント機一辺倒だった時期である。ムサシノ模型飛行機研究所の主張がなかなか広く認められず、厳しい時期だった。市民権を得ることができる飛行法であるゆっくりズムや、模型飛行機の基本としてのフリーフライト機など、ムサシノ模型飛行機研究所の提唱するスタイルを啓蒙するという目的で、ムサシノ模型飛行機研究所通信は発行された。初期には数ページ程度の量だったものが次第に増大し、20ページを超えるものになった。内容は、館林重雄のエッセイ的な文章、ムサシノ鳥シリーズを使用したさまざまな実験や改造記事、ゴム動力機の紹介、ユーザからの投稿、ユーザと館林重雄との文通の内容などで、熱心なファンによる独特の実験レポート、エアラインパイロットをはじめ実機操縦経験者からのゆっくりズムに対する意見など、特色ある記事で読み応えのあるものだった。ムサシノ模型飛行機研究所公式ホームページが1999年に開設されたときのコンセプトは、『ムサシノ通信を現代のWEBで再現する』というものだったという。1992年12月20日、プレイリー・ハミングカブ・プレイバード号エルロン材料セット発売。軽曲技飛行仕様とある。標準の主翼に後付でエルロンを装備することで、エルロンを使用する曲技飛行を行うためのものと思われる。さらにエルロンだけではなく、ラダーとエレベータの面積を増大する部品も入っており、低速で曲技を行う際の舵の効きを良くする必要があるから、という。またエルロンとラダーを連動するためのミキシングを推奨している。もっとも単純にはサーボの信号を分岐させる二股コード(Yハーネス)を使用してラダーとエルロンサーボを同時に動作させる。または送信機側でのミキシングを行う。これは極低速時の操縦性はエルロンだけでは不十分なためラダーも操舵することが必要だが、独立して操舵するのは難しいと判断したため。この後付キットは、通常の模型店ルートで販売されず、直販のみとされていた。エルロン材料セットの発売後に、書籍「軽曲技飛行のすすめ(研究)」とビデオ「“鳥シリーズ”の軽曲技飛行」が発売される予定だったようだが、発売されなかった。 藤原理工はムサシノ模型飛行機研究所とは無関係だが、以下の機種の設計は館林重雄が行っている。 詳細は不明だが館林重雄設計である。『軽ラジコン機入門』 館林重雄 電波実験社 ISBN 978-4924518001
出典:wikipedia
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