矢橋 賢吉(やばし けんきち、1869年10月24日(明治2年9月20日) - 1927年(昭和2年)5月24日)は日本の建築家、官僚。美濃国不破郡赤坂村(現岐阜県大垣市)出身。大垣中学(現岐阜県立大垣北高等学校)、第一高等中学校を経て東京帝国大学工科大学造家学科へ入学する。在学中に辰野金吾らの薫陶を受ける。卒業後、長崎税関監視部庁舎新築の設計監督を依嘱される。以降、建築家、営繕官僚として、明治、大正期の近代建築に携わる。妻木頼黄の片腕といわれた。※大蔵省など組織の仕事については、矢橋の部下が設計したものを含む。
出典:wikipedia
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