『サザンオールスターズ 茅ヶ崎ライブ 〜あなただけの茅ヶ崎〜』(さざんおーるすたーず ちがさきライブ あなただけのちがさき)とは、サザンオールスターズが2000年(平成12年)の8月19日と20日の2日間に渡って行った神奈川県茅ヶ崎市・茅ヶ崎公園野球場での野外ライブコンサート。ボーカルの桑田佳祐の生まれ故郷である茅ヶ崎市での凱旋コンサートでもある。なお、一般的には「茅ヶ崎ライブ」とのみ表記されるが、ここでは公式サイトに従った表記とする。1999年末に横浜アリーナで行われたサザンオールスターズの年越しライブ「晴れ着 DE ポン」のMC内で桑田が「今年(2000年)の夏は海が見える所でライブをやりたいです。“チ”がつく所で……」と発言したことで、故郷・茅ヶ崎市でのライブを示唆した。しかし、それまでに茅ヶ崎市ではプロのミュージシャンが野外での大型コンサートを実行した前例がなかったため、会場の確保や地元住民との兼ね合い等から「実現は難しい」と見られていた。そのため市ではサザンファンの有志が集い、2000年の初頭から実現に向けて茅ヶ崎駅北口前等で署名運動が行われた。最終的には5万人(茅ヶ崎市の人口の約4分の1)を超える署名が集まり、4月にライブ実行が決定した。茅ヶ崎市でのサザンのライブは1981年7月4日、『そちらにおうかがいしてもよろしいですか?』ツアーの初日を茅ヶ崎市民文化会館で行って以来実に19年ぶりとなった。当時サザンオールスターズは前年までのシングル売上低迷から一転して、同年1月26日リリースの「TSUNAMI」が大ヒットしたことで、デビュー以来メジャー路線を保ちつつ22年目にして最大とも言えるブームの追い風に乗っていた。ライブ決定を受けて7月20日にはこのライブのメインとなるシングル「HOTEL PACIFIC」をリリース。音楽番組などにも積極的に出演した。市でもライブ成功のため全国から集まるサザンファンを迎えるために着々と準備が進められ、ライブまでの数ヶ月間は茅ヶ崎駅の改札口には「おかえりなさい桑田佳祐」の横断幕が掲げられるなど、まさに街を揚げてサザン一色に染まっていった。これに合わせ神奈川新聞や産経新聞神奈川県版などが、茅ヶ崎ライブに関する事前特集記事を組んだ。また桑田は日本テレビ系の音楽番組『FUN』に出演した際に『ライブ1曲目のイニシャルは“K”』と発言した。茅ヶ崎ライブ初日前日(8月18日)に日本テレビの『ジパングあさ6』が「茅ヶ崎市民に聞く、サザンオールスターズベスト5」のアンケート結果を放送した(1位は「TSUNAMI」)。本番前日の8月18日には、地元住民とサザンオールスターズの公式ファンクラブである「サザンオールスターズ応援団」の会員のみを集めての公開ゲネプロ(本番とほぼ同じの通しリハーサル)が行われた。スタート直前には大雨に見舞われたが、スタートしてからは雨も上がり無事にリハーサルが行われ本番さながらの盛り上がりを見せた。演奏中は桑田によるスタッフへの事細かな指示や仕切り直しなど、通常のコンサートではなかなか見られない場面も見られた。また、通常の会場と異なり会場内と外が至近距離のため、開場前のリハーサルも会場外に音が丸聴こえ(所謂ネタバレ状態)であったものの、場外にいたファンの多くはその開場前リハーサルも含めて楽しんでいたという。特に本番で4曲目に選曲されていた『茅ヶ崎に背を向けて』は開場直前のリハーサルでフル演奏され、曲が終わると共に場外に詰め掛けていたファンからは本番同然に大歓声が上がったという。本番の8月19日と8月20日の茅ヶ崎公園野球場は気温も上がり夏空の晴天となり、無事ライブは成功。2日間で計46000人を動員した。サザンとしては最長・最多となる4時間・全36曲(メドレーを含む)を演奏した。注目された1曲目はシングル曲と並び人気のある『希望の轍』であった。シングル曲・ライブ定番曲を中心にファンからのリクエストを受けての選曲もされたという。8月20日のライブ2日目はWOWOWで生中継された。スタート前には辻よしなりによる実況中継、小川直也による聖火ランナーの入場及び聖火点灯、茅ヶ崎市歌に乗せての市旗の掲揚、福山雅治による開会宣言を始め、茅ヶ崎漁港沖から花火が打ち上げられるなど、様々な趣向がこらされた。球場内に入れないファンのために2日目には球場近くの海岸「サザンビーチちがさき」駐車場に特製巨大スクリーンを設置。6000人のファンが集まった。桑田もビーチにいるファンにスクリーン越しに呼びかけた。また、球場内・サザンビーチちがさきのどちらにも入れないファンや地元住民なども多数おり、周辺の道路などに詰めかけて音だけでもライブを楽しんだという。
出典:wikipedia
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