1948年中華民国総統選挙(ちゅうかみんこくそうとうせんきょ)は、1948年4月20日に実施された中華民国政府による初めての全国規模の総統選挙である。選挙方式は選挙により選出された中華民国国民大会代表(国大代表)を通して投票される間接選挙であった。投票は南京の国民大会堂(現在の南京人民大会堂)で行われ、副総統選挙も同時に実施された。副総統選挙は総統選挙と独立集計され、現在のように総統と副総統の候補者が一括して選挙戦を行うものではなかった。この時の選挙は差額選挙が採用され、また有効投票の過半数以上を獲得して初めて当選となる絶対多数選挙となった。総統選挙では中国国民党総裁の蒋介石が2430票を獲得し、269票の居正に大差で当選したが、副総統選挙では蒋介石が推薦する孫科が過半数を獲得できず、第4回投票で孫科の1295票に対し桂系軍人が推薦する李宗仁が1438票を獲得し当選した。選挙結果に基づき同年5月20日に南京総統府で蒋介石が総統に就任した。しかし就任後1年足らずで国共内戦敗戦の責任を取って蒋介石は総統職を辞職している。その後は国共内戦による国民政府の遷台、それに続く中華人民共和国の建国などにより、この時の選挙が中華民国が中国全域で実施した最初にして唯一の選挙であると同時に、中国大陸における最後の民主選挙となっている。1936年、中華民国政府は『五五憲草』と称される憲法草案を完成されたが、日中戦争の激化により憲法制定作業が中止された。1945年に日本が降伏、中華民国政府は国民党と共産党の協力関係が崩壊、国民党は1946年に独自に制憲国民大会を召集、同年12月25日に中華民国憲法が国民大会を通過し、1947年1月1日に公布、12月25日に施行され中華民国は憲政時代へと入った。『五五憲草』では総統制を基本としていたが、憲法制定に参加した張君勱は蒋介石の専制を防止するために内閣制に内容を変更している。憲法施行後、中華民国政府は中国各地で第1回国大代表選挙を実施、3,045名の国大代表が選出されることとなった。共産党は国大代表選挙への参加を拒絶し、一部直轄市では代表が選出されなかったが、中華民国が中国の大部分を支配下に置いておいた当時、2,961名の国大代表が選出され、総統選挙の準備が整った。中華民国総統を選出するための第1回国大代表の総統選挙会議が1948年3月29日から5月20日まで開催されることとなり、総統選挙の期日が4月20日と定められた。国大代表2841名がこの召集に応じて南京市の国民大会堂に集結した。当時の中華民国の法律では総統及び副総統は国大代表による間接選挙方式が採用されていた。『総統副総統選挙法』第4条第3項によれば、候補者は国大代表総数(3,045名)の過半数(1,523名)の得票数が必要とされ、もし過半数に満たない場合は上位3名による再投票、再投票でも過半数を獲得できない場合は、第3回投票により得票数の高い2名の決選投票が行われると規定されていた。総統選挙では蒋介石が共産党軍の圧迫を受けながらも国民党及び政界に強い影響力を有しており、4月20日の第1回投票で2,430票の圧倒的多数を獲得し当選した。単純に決定した総統に対し、副総統選挙では複雑な経過を辿ることになる。1948年4月20日副総統立候補者受付までに李宗仁、孫科、程潜、于右任、莫徳恵、徐傅霖の6名が立候補した。(前者4名は国民党、徐傅霖は中国民主社会党、莫徳恵は無所属)蒋介石は自らが軍人出身であったため、副総統には文人を選出し均衡を図ろうとした。これに対し李宗仁が軍人出身であり、蒋介石と対立した桂系出身であり蒋介石は李宗仁の立候補には強く反対した。しかし李宗仁は日中戦争期間中に大きな戦功を残し、政界より強く支持を受けていたため蒋介石も立候補断念を迫ることもできず、孫文の長子であり、前行政院院長、当時国民政府副主席の孫科を自ら副総統候補に推薦した。総統選挙終了後、直ちに副総統選挙が実施された。蒋介石は副総統には文人が相応しく、自ら孫科を推薦すると表明したが、多くの国大代表の支持を受けた李宗仁は6名の候補者の中で支持を伸ばしていた。4月20日午後の第1回投票では李宗仁は最高得票数の754票を獲得、続いて孫科559票、程潛522票、于右任493票、莫徳恵218票、徐傅霖214票となった。全員が過半数を獲得できなかったことから規定に基づき上位3名の再投票が実施されることとなった。4月24日、再投票が行われると李宗仁は1163票を獲得し首位、孫科は945票、程潛は616票となった。再び過半数獲得者がおらず、4月28日に第3回投票が行われ李宗仁1156票、孫科1040票、程潛515票となった。第3回投票でも過半数票獲得がおらず、李宗仁と孫科による決選投票が実施されることとなった。決選投票では相対多数での当選と規定され、その結果、李宗仁が1,438票,孫科は1,295票との結果となり李宗仁の当選が決定した。蒋介石は5月20日に就任式典を実施し、その後中華民国での総統就任は全て5月20日に実施されることとなった。
出典:wikipedia
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