愛媛師範学校 (えひめしはんがっこう) は新制愛媛大学教育学部の前身の一つとなった師範学校である。前身の愛媛県師範学校から引き継いだ松山市木屋町 (現・若草町4丁目) の校地を使用した。1945年7月の空襲で校舎を失い、同年9月の授業再開時は、空襲の被害を受けなかった女子部校舎や太山寺等を使用した。1947年、市内城北 (現・文京町) の旧陸軍歩兵第22連隊練兵場跡に教室2棟を設置し、女子部校舎との 2箇所で分散授業を行った (女子部も 1950年までに城北地区に移転完了した)。城北校地は後身の新制愛媛大学教育学部に継承された。現在、愛媛大学城北キャンパスには医学部・農学部を除く法文学部・教育学部・工学部・理学部が集中している。旧木屋町校地の跡地は、現在は松山若草合同庁舎となっており、「愛媛教育草創之地」 碑が設置されている。前身の愛媛県女子師範学校から引き継いだ松山市三津西須賀町 (旧・温泉郡三津浜町字梅田町新立小松原、現・松山市須賀町) の校地を使用した。1945年7月の空襲では被害を受けなかったが、第二次世界大戦終戦後、校舎を焼失した男子部が移転して来たため、同居状態となった。1947年に男子部が城北地区に一部移転したのに続いて、1948年から女子部も城北地区へ移転することになった。城北への移転は 1950年までに完了し、三津校地は同年11月に警察予備隊に引き渡された。現在、旧三津校地の跡は、松山西警察署となっている。
出典:wikipedia
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