トートグ (USS Tautog, SS-199) は、アメリカ海軍の潜水艦。タンバー級潜水艦の2番艦。トートグの名を持つ米軍艦としては初代。艦名はアメリカ大西洋岸に生息するベラ亜目のトートグに因む。トートグは第二次世界大戦で最も武勲を立てた潜水艦の一隻である。アメリカ海軍の公認記録では26隻の日本の艦艇、船舶を撃沈しその総トン数は72,606トンに上った。敵船舶の撃沈隻数ではアメリカ潜水艦の中では第1位、トン数でも第4位にランキングされている。トートグは1939年3月1日コネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で起工され、1940年1月27日、リチャード・S・エドワーズ夫人の手で進水し、7月3日にジョセフ・H・ウィリンガム少佐(アナポリス1926年組)の指揮下就役した。就役後、トートグはロングアイランド湾で軽めの訓練を行い、ロングアイランド湾でのメニューを消化後に9月6日から11月11日まで、カリブ海のヴァージン諸島海域で本格的な訓練に従事した。カリブでの訓練終了後はニューロンドンに戻って、1941年2月上旬までニューロンドンをベースに活動した。4月に入り、トートグは他の2隻の潜水艦とともにハワイ真珠湾に回航されることとなりニューロンドンを出航。パナマ運河地帯のココ・ソロとカリフォルニア州サンディエゴを経由し、6月6日に真珠湾に到着した。10月中旬まではハワイ近海で活動を行い、10月21日にスレッシャー ("USS Thresher, SS-200") とともにミッドウェー島海域へ45日間活動するよう命令を受けた。この活動は戦時哨戒のためのシミュレートであり、無線封止状態で海上にいた2隻は、38日間にわたって連日のように16時間から18時間にわたって潜航をしていた。トートグは訓練期間終了後、12月5日に真珠湾に帰投した。真珠湾攻撃の当日、トートグは真珠湾の潜水艦基地に停泊していた。フォード島に日本機が最初の爆弾を投下して間もなく、トートグは同じく在泊中のナーワル ("USS Narwhal, SS-167") や近くの駆逐艦とともに、メリー・ポイントの方から向かってくる九七式艦攻に対して反撃の射撃を行って、これを追い払った。12月26日、トートグは最初の哨戒でマーシャル諸島方面に向かった。トートグはこの哨戒で、1942年1月4日にビカール環礁を偵察したのを皮切りに、ビキニ(1月6日)、ロンゲラップ(1月7日および17日)、(1月8日)、バトおよびクェゼリン(1月9日から16日)の各環礁を偵察。クェゼリンでは5,000トン級貨物船、双発機およびトロール船を発見したが、他の環礁では目ぼしい活動は確認されなかった。1942年1月13日、トートグは敷設艦常磐あるいは迅鯨型潜水母艦と目された艦艇に対して魚雷3本を発射したが結果は確認できず、逆に制圧を受けた。2月4日、トートグは41日間の行動を終えて真珠湾に帰投。修理のためメア・アイランド海軍造船所に回航された。修理後、トートグは4月9日に同地を出航、真珠湾に戻った。4月24日、トートグは2回目の哨戒でマーシャル諸島方面に向かった。4月26日10時ごろ、トートグはジョンストン島近海を航行中、潜望鏡を発見した。トートグは相手に対して有利な態勢に持ち込み魚雷1本を発射、命中して相手は沈没した。相手は呂30であろうと判断され、この戦果は公認された。しかし、当の呂30はこの少し前に除籍されたばかりであり、トートグが発見して沈めた物体の正体は不明である。担当海域に到着直後、トートグは司令部から、至急トラック諸島近海に急行するよう命令を受けた。珊瑚海海戦で損傷した空母翔鶴と無傷の空母瑞鶴を中心とする日本艦隊がトラックに向かっており、特に翔鶴は相当な大損害を被ったものと司令部では判断していたため、これを撃沈すべく "Wounded Bear" (手負い熊)と称する作戦を行うこととした。しかし、翔鶴の損傷度合いを見込み違いしていたせいで、トートグと他の潜水艦、グランパス (USS "Grampus
出典:wikipedia
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