1966年中華民国総統選挙(ちゅうかみんこくそうとうせんきょ)は1966年3月21日に実施された中華民国の総統選挙。選挙方式は選挙により選出された中華民国国民大会代表(国大代表)を通して投票される間接選挙であった。投票は台北陽明山の中山楼で行われ、副総統選挙は3月22日に実施された。副総統選挙は総統選挙と独立集計され、現在のように総統と副総統の候補者が一括して選挙戦を行うものではなかった。投票の結果、中国国民党候補者である蒋介石が1,405票を獲得し第3代中華民国総統に就任した。翌日に行われた副総統選挙では国民党の厳家淦が当選している。蒋介石は後継者である蒋経国の地盤が固まっていない現状を考慮し、自身の総統四選を目標に立候補した。この際、周囲の反対を押し切り自ら副総統候補に指名したのが厳家淦である。1948年の総統選より副総統に文官任用を検討してきたが、それまで軍人出身の副総統が続いており、陳誠の病没により改めて文官任用として厳家淦を抜擢した。この蒋介石の決定には国民党内の不満を引き起こすこととなった。3月21日午前、中華民国第四任総統選挙が開始された。国大代表は王雲五を主席に選出、国民党候補の蒋介石への信任投票となり、1,488人が投票、1,405票の絶対多数票を獲得して蒋介石は総統に当選した。また翌日行われた副総統選挙では国民党内部から反発を受けた厳家淦であるが782票を獲得し、辛うじて過半数を超え当選している。
出典:wikipedia
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