阿倍 帯麻呂(あべのおびまろ、生没年未詳)は、奈良時代前期の貴族。名は意比麻呂とも。中務大輔阿倍船守の子で、兄弟には遣唐留学生の阿倍仲麻呂がいる。従五位上・美作守。史料への初出は『続日本紀』神亀5年(728年)5月で、この時に外従五位下に任ぜられる。ちなみにこれは中央貴族に対して初めて外位が授与された例である。神亀6年(729年)3月に従五位下に昇進。その後美作守となるが、天平7年(735年)9月28日(旧暦)までに何人かと共謀し、故意に4人を殺害するという不祥事を起こした。この時の裁判担当だった高橋安麻呂や県犬養石次らが職務怠慢で裁判を放置したため、被害者の親族から訴えられ罪に服していたがこの日許された、と『続日本紀』天平7年9月28日条に書かれてあるが、帯麻呂に対する処分は不明。但し、帯麻呂のその後の消息も未詳のため、律に則り死刑になったと推測される。その昇進の経緯などから、叙位に対する不満から他の外位任官者と共に長屋王の変に関わった可能性が指摘されている。
出典:wikipedia
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