坪野神明社(つぼのしんめいしゃ)は、富山県富山市婦中町速星字坪野飛地991にある神社である。祭神は富山県神社庁編『富山県神社誌』(1983年刊行)によれば天照皇大神、豊受大神の2座。近年の調査の結果、誉田別命、天児屋根命、迦具土命、伊弉諾命、伊弉冉命の5座が相殿として祭られていたことが分かったという。社伝では、1097年(永長2年)に若林源左衛門により勧請されたという。この時期はちょうど坪野村の東側に伊勢神宮領鵜坂御厨が設けられていた(『富山県史』所引「神鳳抄」)。御厨はのちに徳大寺家領宮川荘へ包摂された。若林家は中世の婦負郡における有力国人で、1477年(文明9年)、国人とみられる槻尾信次が借米・銭の返済を求めて「御福之為成」に住む若林又太郎を幕府政所に訴えた(「政所賦銘引付」)。1682年(天和2年)2月、又太郎の裔孫とみられる坪野村若林又エ門、若林新四郎が坪野村の肝煎(村役人)として神主近尾伊予守とともに社殿を修築した。1825年(文政8年)4月にも遷宮が行われた。大正年間、海川原村(現富山市婦中町速星)の神明社を合祀した。1963年(昭和38年)11月に茅葺拝殿を取り壊しコンクリート製社殿を造営した。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。