LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

日本のワイン

日本のワイン(にっぽんのワイン)では、日本で生産されるワインについて述べる。日本産ワインはヨーロッパ産ワインに比べて含有する有機酸塩が少ないと言われてきた。これは日本のワインが主に原料とした甲州種のぶどう由来の有機酸が欧州種と比較して少ないためと考えられる。この特徴から欧州系のぶどうから醸造されたワインに比べて魚介類との相性がよいとされている。また、欧州系ぶどうのワインがいわゆるガーヴと呼ばれる地下式の保管庫による自然冷却的な温度が適度に飲みやすいのに対して、冷蔵庫で強めに冷やした状態が飲みやすいとされる。別の研究では、ワインの適温は有機酸の種類と含有量、タンニン、炭酸ガスの量によって異なるとしている。一方で、欧州系のぶどうと比較して、甲州種からつくられたワインは凡庸で特徴がないと言われてきたが、近年、醸造技術の進歩とぶどうの収穫時期の適正化、産地ごとの特徴の把握などにより、国際的に評価されるワインが醸造されるようになってきている。また、メルローやシャルドネなどの国際品種を中心に、ヨーロッパの国際コンクールで評価されるワインも長年作られてきた。ただし、長い間、日本国内で「国産ワイン」として売り出すための基準は、酒税法の他には業界の自主基準しかない状態だった。このため、輸入されたブドウや濃縮果汁を使用したものを使用して日本国内で醸造されたワインも国産ワインに含まれるようになっていた。2015年10月30日、国税庁は、日本国内で生産されたぶどうのみを使って、日本国内で製造された果実酒だけを「日本ワイン」とする表示告示を策定した。これは3年の周知期間を経て2018年に施行される予定である。国税庁の平成26年度(2014年度)の調査では、平成25年のワインの製成数量は95098キロリットルであり、前年と比較して7.7%増加した。このうち、大手5社(サッポロワイン、サントネージュワイン、サントリーワインインターナショナル、マンズワイン、メルシャンと資本関係のある販売会社:アサヒビール、サッポロビール)のシェアは78.7%だった。日本生産ワインの原料は78.4%が輸入原料(果汁、ワイン)、23.6%が国産原料で、うちわけは22.3%が国産の生ぶどう、1.3%がその他となっている。販売総量の構成は、11.8%が国産ぶどうを全量使った日本ワイン、88.2%が日本ワイン以外の輸入原料を使用した国産ワインだった。輸入原料の使用割合は大手5社では、95.9%の輸入原料を使用しているが、製成数量が年間500キロリットル~5000キロリットルの中堅企業でも30.8%の輸入原料を使用している。一方、年間500キロリットル以下の小規模なワイナリーでは5%以下とほぼ全量国産ぶどうを使用していた。国産のぶどうの種類別の使用量で一番多いのは甲州で、次にマスカットベリーA、ナイアガラ、デラウェア、コンコード、キャンベル、メルロー、シャルドネの順になっている。ワイン原料のぶどうの産地別の生産量では山梨県(7356t)、長野県(3495t)、北海道(3305t)、山形県(2307t)の順になっており、この4道県で全体の81.5%を生産している。生産された生ぶどうは北海道、長野県では89%、山梨県でも86%が同じ道県内で加工されているのに対して、山形県では61%しか県内で加工されておらず、残りの4割のぶどうは他地域に出荷されていた。国税庁の平成26年度の都道府県別の酒税課税統計では、ワインの生製量は多い順に、神奈川県(40790キロリットル)、山梨県(21067キロリットル)、栃木県(15246キロリットル)、岡山県(9950キロリットル)、大阪府(4681キロリットル)、長野県(4210キロリットル)、北海道(3430キロリットル)の順になっており、上位の府県にはそれぞれ大手のワイン工場が立地している。日本列島では、縄文時代中期には酒造具である可能性が考えられている有孔鍔付土器が存在する。有孔鍔付土器は酒造具であるとする説と打楽器であるとする説があり決着をみていないが、ブドウ果汁を発酵させた飲料(液果酒)がつくられ飲用に供されていたとも言われる。『後法興院記』によると、1483年(文明15年)に、関白近衛家の人がワインを飲んだという記述があり、おそらくこれが最古の記録である。貝原益軒も『大和本草』の中で、ワインを外国からの輸入酒として記載している。その一方で日本で「葡萄酒」を作ったという文献もみられるが、この葡萄酒はワインの事ではなく、ブドウの果実を焼酎に漬込んだり、あるいはブドウ果汁を日本酒などとブレンドした、果実酒・リキュールの類のものであった。日本で本格的にワイン生産が行われるようになったのは、文明開化を受けて洋風文化を積極的に摂取するようになった明治時代以降である。中部地方の内陸に位置する山梨県(旧甲斐国)では江戸時代後期において勝沼村(甲州市勝沼町)の一部の地域において、商品作物としての甲州葡萄の栽培が行われていた。明治初年には山梨県令・藤村紫朗の主導した殖産興業政策によって葡萄酒の醸造が試みられるが、これに先行して甲府在住の山田宥教と詫間憲久、二人の共同出資によってワインの醸造を行ったのが、近代的なワイン醸造における元祖とされている。その後、ぶどう農家が集中していた勝沼村で1877年(明治10年)年に「大日本山梨葡萄酒会社」が設立されるが、初期の会社にはしっかりとしたワイン醸造のための基礎がなく、当時最先端の醸造技術を習得するために同村出身の高野正誠と土屋助次郎(龍憲)とをフランスに派遣、帰朝ののち醸造量を150石として、海外製品より安かったことも歓迎されその全てを売りつくした(後年、高野と土屋はその功績を称えられ2人の洋服姿の写真を図案化したマークが勝沼の街のシンボルとして各所に使われている)。また、日本のワイン史の黎明期において、新潟県の川上善兵衛や愛知県出身の神谷伝兵衛らの醸造家の努力や業績については特筆されるものがある(当該項目参照)。当初はアメリカ系のブドウ種(主にデラウェアやアディロンダック)の栽培が中心であったが、その後国策によって味わいにおいてより優れたフランス系の品種に変更された。しかし、欧州系の樹種に寄生したフィロキセラ(Phylloxera:ブドウネアブラムシ・ブドウの項参照)による荒廃により壊滅を余儀なくされ(1885年(明治18年))、日本でのワイン醸造の歴史は一旦は頓挫する。(当時、唯一アメリカ種に拠っていた山梨ではこの禍から逃れることができ、今日の隆盛の礎となったとされる)昭和以前には、免許、税法などの整備はなく、ぶどうが穫れるところでは各家で各々のやり方で醸造されており、その過程で黒ぶどうで作られたものは「赤酒」などと俗称されていた。1939年(昭和14年)3月に物品税が、1940年(昭和15年)3月29日に酒税法(果実酒に関する施行規則)が公布されるにつれ、届出・認可のない自家醸造は「闇酒(密造酒)」とされ廃れていった。以降、国産ワインの需要も少なく各地で細々とつくられているだけであったが、第二次世界大戦中にワイン製造の際の副次品である酒石酸から生成されるロッシェル塩結晶が兵器(音波探知)の部品になるとして、国内でぶどう酒醸造が奨励され、大増産された経緯もある。ところがこれはあくまでも軍事兵站上の需要であり、飲用を主目的としたものではなかった。のち戦後の農業革新の過程で、戦前〜戦時の遺産(畑地や醸造技術など)を生かして、生産に適した地域ではある程度の規模をもったワイン醸造が民生用として再開された。しかし国内で生産されるワインには輸入果汁やバルクワインの混入も多く、まだまだ発展途上といわれ評価は低かった。いっぽう日本人の嗜好としては、当初はワインの酸味や渋味が全く受け入れられず、長らく蜂蜜など糖分を加えてこれらを緩和させた甘口ワインが主流であった。当時の消費者が「ワイン」として認識していたものは、甘味が付加されたサントリーの「赤玉ポートワイン」や「ハチブドー酒(下記:薬品としての「ブドウ酒」参照)」のような種類のもの(甘味果実酒)である。この傾向は1970年代頃まで続き、本来のワインはむしろ「葡萄酒」と呼ばれ、趣味性も高く、一部の愛好家の嗜好においてはヨーロッパからの輸入ワインに頼っていた。その後、東京オリンピック(1964年(昭和39年))や大阪万博(1970年(昭和45年))などの国際交流や大手メーカーのPRを通じて、本格的なワインに対する一般の認知度も高まり、ブドウを果物として生食することとは別に、飲用として摂取することも広まってきた。これを受けてワイナリーと称する専業生産者も本腰をいれるようになり、欧州本場に倣った垣根式の栽培法を取り入れ、害虫に強いヨーロッパ系新種のワイン用に特化したブドウ栽培を展開し始めた。いくつかのワイナリーからは純国内栽培による優秀なワインも生産されて、海外の品評会での受賞も見るようになり、国際的に評価されるようにもなってきた。また、日本独特の消費者感覚から無添加・無農薬ワインも生産されるようにもなった。洋酒に関する輸入関税の緩和や、日本の食文化の多様化、ポリフェノール効果によるブームなども手伝って、近年ようやく本格的なワインが理解されるようになり、国内での品質の高いワイン生産を促進させる下地となった。2002年からは、山梨県が主導して「国産のぶどうを100パーセント使用して造った日本産ワイン」を対象とする国産ワインコンクール(2015年からは日本ワインコンクールと改称)が行われるようになり、ヴィニョロン(Vigneron)と呼ばれる個人醸造家による出品から大手メーカーの力作まで、純国産ワインの品質向上を競うようになっている。日本における主な生産地としては北海道や山梨県、長野県、山形県があげられる。おたるワインを生産する北海道ワイン(株)は、現在国産ブドウの使用量で全国1位を誇る。また、空知地区は前述の北海道ワインの自社農園があり、これまでも北海道産ワインを影で支えてきたが、2000年代から南部の岩見沢市・三笠市・旧栗沢町などで新規参入が相次ぎ、表舞台へと姿を現すようになった。新規参入したワイナリー・ヴィンヤードはどれも小規模だが軒数では北海道内の約3割を占めており、自治体や酒造メーカー主導の大規模生産を行う池田・富良野・小樽とは対照的な産地といえる。北海道は本州の産地(メルロー、シャルドネなどフランス系品種や在来の甲州が主)と比較して、ケルナーなどのドイツ、オーストリア系のワイン用ぶどうの栽培が多い特徴がある。ワインの生産量としては栃木市にあるサントリー梓の森工場が断トツで大きいが輸入果汁や輸入ワインを原料とした国産ワインを生産している。近年の酒造メーカの総合酒造メーカ化の流れにより大手ビールメーカや洋酒メーカがワイン醸造も合併や事業買収で傘下に収めている。こうした結果、メルシャン(キリンビール)(キリンビールがメルシャンを合併)、登美の丘ワイナリー(サントリー)、グランポワール(サッポロビール)、サントネージュ(アサヒビール)(協和発酵キリンから事業譲渡)といった大手酒造メーカーやマルスワイナリー(本坊酒造)やシャルマンワイナリー(江井ヶ嶋酒造)のような中堅や中小の酒造メーカが自社で国内でワイン醸造を行なうようになっている。また、マンズワイン(キッコーマン)のような醸造メーカーが醸造技術を活かしてワイン醸造を行っているケースもある。国税庁の平成26年度の酒税統計資料では、アンケートに回答のあった176社のうち、年間生産5000キロリットル以上の企業が5社、500キロリットル以上、5000キロリットル未満の企業が11社、100キロリットル以上、500キロリットル未満の企業が24社、100キロリットル未満の企業が134社となっている。少数の大手、中堅企業と大多数の小規模ワイナリーという構図になっている。生食用のぶどう農家が安価な醸造用ぶどうの生産に乗り気でなかったこと。農地法の規制があって、醸造メーカが直接自社農場を持ちにくかったこと。1970年代の自由化の流れもあり安価な輸入果汁や輸入ワインの入手ができたこと。これらの要因があり大手のワイナリーに限らず中小のワイナリーも含めて、輸入濃縮ぶどう果汁や輸入バルクワインを使用した安価なワインを国内製造(国産)ワインと称して製造してきた。その一方で、自社農園や契約農家が生産した国内産ぶどうを使用して自社ワイナリーで生産した日本ワインの生産、販売やより高品質なワインの研究も行っている。現在の日本ワインの知名度や品質の向上には、こうしたワイナリーの研究開発や地道な農家育成、自社ノウハウの公開と指導といった活動が大きく寄与している。近年、特に、大手メーカーとは別に、比較的中規模から、家族経営のもの、日本国内には数多くのワイン醸造業者があり、それぞれがそれぞれの経営・生産方針に則り、小規模ながらも多くの銘柄を産出している。それぞれが各々の得意をもって、自ら柱となり道となり、日本のワイン業界を盛り立てているのである。尚、国税庁の統計上は原料が国産であるかないかに関わらず日本国内で醸造したワインは「国産」として統計されるため、メーカーが濃縮ぶどう果汁を輸入して日本国内で工場生産したワインも「国内産」の生産量に計上されている(下記「原産地表示」の項参照)。そのため、統計上は大手メーカの大量生産工場が存在する府県が上位になり、平成22年度の統計では「日本でのワイン生産量が最も多い県」は神奈川県となる。これは藤沢市にメルシャンの工場があることによる。世界のワイン生産国は品質維持や表示基準等を定めたワイン法を有するが、長年にわたって甘味果実酒がワインとして流通していた日本においては全国的に一律の法制度は整っておらず、酒税法上は原料産地や葡萄品種に関係なく国内で醸造を行う事で「日本産」を表示することが可能となっている。日本で生産されているワインのうち約80%は海外から輸入した濃縮ぶどう果汁を日本国内の工場で加工して「国産ワイン」とのラベルで出荷されている(国税庁「果実酒製造業の概況」(平成24年度))。 日本のメーカーが発売する低価格帯ワインの多くは輸入した濃縮果汁を日本で醸造したものである(ものによってはそれにバルク輸入した輸入ワインが混ぜられる事もある)。スーパーやコンビニで販売されている「国産ワイン」のほとんどはこのような工業的製造によるワインであるが、国際的には生ぶどうを原料とする醸造酒だけがワインとされており、日本で販売されているこのような「国産ワイン」はワインとして認められていない。このように、ワインについての統一的な法整備がないため国際的にはワイン後進国として見なされており、酒税法の中で上述のような工業的製造が認められているため、輸入果汁の加工品にすぎない「日本産ワイン」が国内市場で広く流通している。このため、消費者の間では国産ワインについて、「安かろう悪かろう」というイメージが根強く、日本のワイン産業の成長を長年阻害していると言える。日本のワイン産業の発展、ぶどう農業の活性化、税収の増加などの観点から、日本でのワイン法制定は緊急な課題である。2010年代に入り、日本で栽培されたぶどう100%をつかったワインを「日本ワイン」と表示する流れも広まっている。2014年春、自民党主体で「ワイン法制に関する勉強会」が発足。国内法の制定に向けた準備を始めた。これに引き続き、酒税法の改定等により、政府による原産地表示にかかる法的ルール整備がされた。2018年から施行される日本ワインの呼称厳密化のルールでは、日本産のぶどうを100%使用したワインのみが「日本ワイン」の名称を使用でき、原産地域の表示を行う場合にはその地域のぶどうを85%以上使用することが必要になる。すでに一部自治体で独自の原産地呼称管理制度が始まっており、長野県の長野県原産地呼称管理制度や、山梨県甲州市のワイン原産地認証条例などがある。原産地呼称制度として、フランスではアペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ(AOC 原産地統制呼称)、アメリカ合衆国ではアメリカ葡萄栽培地域( 略称A.V.A.)が法制度として定められている。日本薬局方に「ブドウ酒」がアルコール系滋養強壮剤として収載されている。食欲増進などにリモナーデ剤としてそのまま(赤酒リモナーデ)、もしくは他剤と配合して飲み易くする為、高血圧などの食事療法にも用いられている。薬用として使用されるようになったのは、明治時代に流行した腸チフス、赤痢、コレラなどの病後の滋養強壮にと使用されたの始まりと見られている。かつてはシャトーカミヤ、のちに合同酒精(現・オエノンホールディングス)が「局方ハチブドウ酒」として製造していたものの、薬価改定等の理由によって1982年(昭和57年)に製造中止となり長らく空白状態が続いていた。しかし、現在では製薬会社2社が製造販売している。愛知県の中北薬品によって1992年(平成4年)に同社津島工場において生産が再開され、現在では「くすりのぶどう酒(医薬品名「日本薬局方ブドウ酒」)」として薬局・薬店を通して一般にも購入する事ができる。ただし、一般のワイン同様、未成年の飲用は控えるべきであり、飲用後の車両運転なども禁じられている。東京都の司生堂製薬もブドウ酒を製造しているが、こちらは詳細は不明である。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。