大韓帝国の警察は、大韓帝国に設けられた警察制度について解説する。従来の李氏朝鮮では、中央に捕盗庁を置き、地方には道観察使(知事に相当)が直接、治安の維持を図っていた。1894年(開国503年)の甲午改革で捕盗庁を廃止して警務庁が設置され、近代的な警察制度を導入することになった。しかし、日露戦争まで改革は遅々として進まなかった。日露戦争の最中の1905年(光武9年、明治38年)に、日本より警務顧問・丸山重俊を招聘し改革が行われることになった。中央政府の内部(内務省に相当)に警務局(警保局に相当)を置き、警察制度を整備していった。また、首都の漢城府(現ソウル特別市)には、東京の警視庁に倣い警視庁が設けられ、首都警察の任に就いた。韓国併合に先立つ1910年(隆熙4年、明治43年)6月、韓国統監府に警察を全面委託することになり、大韓帝国警察は廃止された。1909年(隆熙3年)時点1909年(隆熙3年)時点
出典:wikipedia
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