唐辛子(とうがらし、唐芥子、蕃椒)は、中南米を原産とする、ナス科トウガラシ属 ("Capsicum") の果実あるいは、それから作られる辛味のある香辛料である。栽培種だけでなく、野生種が香辛料として利用されることもある。トウガラシ属の代表的な種であるトウガラシにはさまざまな品種があり、ピーマン、シシトウガラシ(シシトウ)、パプリカなど辛味がないかほとんどない甘味種(甘唐辛子・あまとうがらし)も含まれるが、ここでは辛味のある品種から作られる香辛料について述べる。トウガラシ属は中南米が原産地であり、メキシコでの歴史は紀元前6000年に遡るほど非常に古い。しかし、世界各国へ広がるのは15世紀になってからである。トウガラシ属が自生している南米では、ウルピカなどの野生種も香辛料として使われる。トウガラシ属には数十種が属するが、そのうち栽培種は次の5種である。日本で栽培されているのは主にトウガラシだが、沖縄や伊豆諸島ではキダチトウガラシの品種の島唐辛子が栽培されている。「唐辛子」の漢字は、「唐から伝わった辛子」の意味であるが、歴史的に、この「唐」は漠然と「外国」を指す語とされる(実際の伝来経路については伝来史で)。同様に南蛮辛子(なんばんがらし)、それを略した南蛮という呼び方もある。唐辛子の総称として鷹の爪を使う者もいるが、正確には「鷹の爪」はトウガラシ種の1品種である。九州の一部や長野県北部地域などでは唐辛子を「胡椒」と呼ぶことがある(「柚子胡椒」の「胡椒」も唐辛子のことである)。「外来の」という意味で南蛮胡椒、高麗胡椒とも呼ばれ、沖縄県では「コーレーグス」という方言で呼ばれる。一説には大陸(唐土)との交易で潤っていた地域では「唐枯らし」に音が通ずる「トウガラシ」の呼び名を避けたためともいわれる。また他地域で言うところの「胡椒」を、区別のため「洋胡椒」と呼ぶことがある。英語ではカプシカム・ペッパー (Capsicum pepper)、レッド・ペッパー、チリ・ペッパー (chili pepper)」などと呼ばれる。胡椒とは関係が無いにも関わらず「ペッパー」と呼ばれている理由は、ヨーロッパに唐辛子を伝来させたクリストファー・コロンブスがインドと勘違いしてアメリカ大陸に到達した際、唐辛子をインドで栽培されている胡椒の一種と見なしたためである。それ以来、トウガラシ属の実は全て「ペッパー」と呼ばれるようになった。胡椒などの他の香辛料と同様、料理に辛みをつけるために使われる。また、健胃薬、凍瘡・凍傷の治療、育毛など薬としても利用される。果実は緑のままでも食べることが出来る。一般に、緑色のものは青唐辛子、熟した赤いものは赤唐辛子と呼ばれる。果実を鑑賞するためのトウガラシの品種もある。ビタミンAとビタミンCが豊富なことから、夏バテの防止に効果が高く、特に暑い地域で多く使われている。除虫の効果もあり、園芸では他の作物と共に植えて虫害を減らす目的で栽培されたり、食物の保存に利用される事もあるが、サルモネラ菌や大腸菌などの食中毒の原因菌を殺菌する作用は無く、食中毒を防ぐことは出来ない。生のまま食べる場合と、乾燥した後に使う場合とがある。チポトレのように燻煙してから使う場合もある。。醤油や酢、泡盛などに漬け込むと、それらに辛味を与えるので通常とは違った風味の調味料とすることができる。漬かった状態の唐辛子は、取り出して刻みサラダなどに利用することもできる。唐辛子の辛味成分はカプサイシン類である。この辛さは刺激が強く人により好みがある。粘膜を傷つけるため、適量を超えて過剰に摂取すれば胃腸等に問題を起こすこともある。特に皮膚の弱い部分に附着すると痛みを引き起こすことが多い。唐辛子の収穫や加工、料理のため唐辛子を触った手で粘膜に触れた場合、強い刺激を受ける。鳥類は唐辛子の辛みを感じないと考えられており、種子の散布戦略としてこのような進化をしたと考えられる。野生のほ乳類等は一般的にカプサイシンの辛みを好まないが、マウスに少量ずつカプサイシン入りの餌与えると逆にカプサイシンの入った餌を好むと言った実験結果も存在する。日本で料理に唐辛子が多く使われるようになったのは比較的最近のことである。1980年代以降、エスニック料理が浸透し、「激辛ブーム」などが起こる以前は、薬味や香り付けに一味唐辛子や日本特有の七味唐辛子が少量使われる程度であったし、市販のカレーも辛口の商品は多くなかった。今も年配の層には唐辛子の辛味を苦手とする人は多い。インドやタイ、韓国などの唐辛子が日常的に使われる国・地方では、小さい子供の頃から徐々に辛い味に慣らしていき、舌や胃腸を刺激に対して強くしている。一方で日常的に使う習慣のない場合は、味覚としての辛味というよりも「痛み」として認識され、敬遠される。実際、カプサイシン受容体TRPV1は痛み関連受容体に分類されており、唐辛子の辛味は口内の「痛覚」である。このことからも、痛みを味覚として好むということ自体、多分に社会文化的条件付けによるものと言える。これらの国が唐辛子を積極的に摂取するのは、メキシコや西アフリカ、中国の四川省・湖南省など夏に暑い地域が多く、食欲を増進し発汗を促し暑さ負けを防ぐためであると言われる。ただし、台湾、沖縄など暑い季節が長いにもかかわらずさほど唐辛子を好まない地域がある一方、韓国、ブータンなどそれほど暑くない地域(韓国も大陸性の気候の影響が強く夏は暑くなるが、高温になる季節は長くはない)で唐辛子を特に好む食文化もあり、唐辛子の嗜好は単なる気候的要因ではなく文化的要因によるものが強いことがうかがえる。フィリピン・中国などアジア圏では葉(葉唐辛子)を青菜と同様に炒めて食べたり、汁物の実とすることもある。日本でも葉唐辛子を炒めて食べたり、佃煮にすることもある。高い発癌率は、トウガラシの貯蔵中に発生するカビが生産するカビ毒が原因と考えられている。正確な伝来年とヨーロッパ内での伝播についての詳細は不明である。現在世界中の国で多く使われているが、アメリカ大陸以外においては歴史的に新しい物である。クリストファー・コロンブスが1493年にスペインへ最初の唐辛子を持ち帰ったが忘れられ、ブラジルで再発見をしたポルトガル人によって伝播され、各地の食文化に大きな影響を与えた。日本への伝来は、1542年にポルトガル人宣教師が大友義鎮に献上したとの記録がある(以下を参照)が諸説ある。南蛮胡椒と呼ばれていたのはこのためであるとされる。日本に伝来した初期は食用として用いられず、観賞用や毒薬、足袋のつま先に入れて霜焼け止めとして用いられた。加藤千洋は3つのルートを提唱している。とあり、16世紀末には唐辛子と胡椒は名称としては区別されておらず、国内での栽培がある程度進んでいたとみられる。1613年の朝鮮文禄『芝峰縲絏』には「倭国から来た南蛮椒には強い毒が有る」と書かれ、1614年の『芝峰類説』では「南蛮椒には大毒があり、倭国からはじめてきたので、俗に倭芥子(倭辛子)というが、近ごろこれを植えているのを見かける」と書かれており、イ・ソンウ(李盛雨)が『高麗以前の韓国食生活史研究』(1978年)にて日本からの伝来説を示して以降、それが日韓共に通説となっている。伝来理由としては朝鮮出兵のときに武器(目潰しや毒薬)または血流増進作用による凍傷予防薬として日本からの兵(加藤清正)が持ち込んだものである。『花譜』や『大和本草』(貝原益軒著)などには「昔は日本に無く、秀吉公の朝鮮伐の時、彼の国より種子を取り来る故に俗に高麗胡椒と云う」などと朝鮮から渡来したことが書かれている。これは一見相反するが、日本に唐辛子が伝わった当初は、西日本を中心にしか広まっておらず、その後、豊臣秀吉の朝鮮出兵に従事した兵士により日本へ唐辛子が逆輸入された事で、朝鮮から日本へ来たものと考えた日本人がいた、という解釈がある。1460年に発刊された『食療纂要』にチョジャン(椒醤)という単語があるとし、それがコチュジャンを意味するもので、日本伝来の唐辛子とは違う韓国固有の唐辛子はすでにあったと主張する韓国の研究者も存在する(椒は一般に唐辛子(ナス科)ではなく花椒(ミカン科山椒)を示す。)。しかしこの説に対し、1670年の料理書『飲食知味方』に出てくる数多くのキムチにも唐辛子を使用したものは一つも見られず、 韓国の食品に唐辛子を使用した記録が19世紀に少し出てくる程度であることから疑問も呈されている。
出典:wikipedia
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