『勝利への脱出』(しょうりへのだっしゅつ、)は、ジョン・ヒューストン監督による1981年のアメリカ映画である。第二次世界大戦の最中、ドイツの捕虜となっていた連合軍兵士とドイツ代表との間で行われることになったサッカーの国際試合と、その背後で進められる脱走計画をテーマにしている。1942年8月に第二次世界大戦下のウクライナで行われた、ディナモ・キエフの選手を中心に編成された「FCスタルト」対ドイツ空軍の兵士により編成された「フラッケルフ」との親善試合( )をモデルとしている。史実では2試合が行われ5-1、5-3とスタルトの勝利に終わるが、面目を潰されたドイツ軍は報復としてスタルトの選手達をバビ・ヤールなどの強制収容所()へ送り、多くの選手達が処刑されている。この試合をモデルとした映画にはハンガリーで1962年に公開された『』( ケート・フェーリデ・ア・ポコルバン)があり、こちらの作品は史実の結末に近い内容となっている。サッカーの王様ことペレや1966 FIFAワールドカップ優勝メンバーのボビー・ムーアといった往年のスター選手や、1978 FIFAワールドカップ優勝メンバーのオズワルド・アルディレスといった現役選手達が多数出演した。ペレは作品内のサッカーシーンにおいてテクニカル・アドバイザーを担当した。これらのスター選手の他に連合国軍チームにはイプスウィッチ・タウンFCの選手、ドイツ代表チームにはニューヨーク・コスモスの2軍選手達がエキストラとして出演した。俳優陣ではシルベスター・スタローンとマイケル・ケインの2名が実際の試合に選手として出場し、スタローンはアメリカンフットボール経験者という設定でゴールキーパー、ケインはイングランド代表とウェストハム・ユナイテッドFCの名選手だったとの設定でセンターバックを務めた。当初の構想では試合のクライマックスとなるシーンで主役の一人であるスタローンが決勝ゴールを決めることになっていたが、この案はゴールキーパーというポジションの性質上、非現実的であるとして見送られた。試合会場は1938 FIFAワールドカップ決勝会場のスタッド・オランピック・ドゥ・コロンブという設定だが、撮影はハンガリーで行われ、時代背景を考慮して、照明設備などの近代的な設備の整っていないブダペスト市内のスタジアムが使用された。1943年、第二次世界大戦最中のドイツ南部のゲンズドルフ捕虜収容所。暇を持余し空地でサッカーに興ずる連合国軍捕虜達の姿を見て、ドイツ軍情報将校フォン・シュタイナーはドイツ代表対連合国軍捕虜チームとの親善試合を思いつく。捕虜のリーダーの一人、コルビー大尉はこの提案を受け入れメンバーの人選に入るが、上官達は裏では試合を利用した大規模な脱走を計画し、コルビーに対しこの計画に加わるよう強く勧めていた。その後、ドイツ軍上層部はこの試合を利用したプロパガンダを企画し、試合会場はドイツ軍による占領下にあったフランスのパリと決定する。選手の中にはトリニダード・トバゴ出身のテクニシャンのルイス・フェルナンデスも加わり猛特訓を開始する。一方、米軍捕虜のハッチは外部のレジスタンス組織と連絡を取るためにいち早く収容所を脱走するが、連絡係として再び収容所へと舞い戻り、試合にはゴールキーパーとして出場する。試合は5万人の観客を集めて行われるが連合国チームは審判から不利な判定を受け、中心選手のルイスが相手のファールにより負傷するなど劣勢のまま1-4のスコアで前半を終える。その一方でハーフタイムの間に下水道を使っての脱走の手筈が整うが、コルビーをはじめ多くの選手はサッカー選手としての名誉と誇りを重視しこれを拒む。脱走へと気持ちがはやるハッチだが、コルビーやルイスらの説得に応じて後半戦に挑むことになる。後半に入り連合国はカルロスやテリーらを軸に反撃に転じ1点差に詰め寄ると、ルイスのオーバーヘッドキックにより4-4の同点とする。連合国の妙技に貴賓席で観戦するシュタイナーは歓喜し拍手を送るが、ドイツ関係者は怪訝そうな顔でそれを見つめる。一方、終了間際になるとペナルティエリア内で連合国に反則があったとしてドイツにペナルティーキックが与えられる。不可解な判定に対して観客からはブーイングが起こるが、やがてラ・マルセイエーズの歌声へと変わり、ドイツのキックをハッチが阻止すると歓喜に包まれる。興奮した観客はピッチへとなだれ込み連合国の選手を祝福し、選手らはこの混乱に乗じて観客に紛れての脱走を図るのだった。
出典:wikipedia
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